~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
福 原 た よ り (三)
── 六月二日、晴天、の刻(午前六時)西八条の総門を清盛入道の乗った屋形輿やかたごし(屋根付きの輿)を先頭に中宮徳子の青糸毛車、次に清盛の妻時子と摂政基通北の方との女房輿二つ、そして屋形の頂上に金鳳の輝く帝の鳳輦の前後と周囲に供奉の人々、冷泉隆房中将も刈装束で従う。次に摂政基通の車には前後に殿上人が騎馬で行く。
少し間を置いて、高倉上皇と法皇の車には別当時忠が供奉を率いる。その最後はの上の平宗盛であった。
この大行列が西八条をしずしずと進むその両脇を、二列に六波羅の武士団数千騎がひづめの音高く乗船地草津まで警護に当たる。その日は津の国の大物だいもつ(現兵庫県尼崎市)にて夜となり、にわかに行宮所あんぐうしょや供奉者の宿所を求めて不自由をされ、翌暁屋形輿や牛車でようやく福原に到着だった。
数日おくれて、西八条から福原山荘への移転後続隊としての家臣や針女たちの一団をお供に、典子母子が安良井と侍女と隆清の傅役の老家従を連れて草津に向かった。信清は草津まで見送り、仲睦まじい冷泉北の方は京の街を出て鳥羽への道のほとりまで見送られた。草津まででは京の邸へのおそくなると典子が案じたからである。
その一行は先日の御幸のお練りの行列とは速度も違って、その日のうちに福原に入れた。
見送りを謝して無事安着を取り急ぎ簡単に信清と冷泉北の方の許へ報じた典子の文が届けられて、しばらく後に第二信が冷泉家の北の方へ寄せられた。
たより候まゝ一ふて申しまゐらせ候そこほと何事なく候や、こなたみなそくさいに候まゝ御心やすくおぼしめし候べく候。
京はさじかし、けしからぬあつさにて悩ませ給ふかと案じまゐらせ候・・・・。
── 以下はこまやかにながく続く当時の女性書簡文体を口訳すれば左の通りである。
(今日幸便=福原から京への使者=に托してこの手紙を書きます。そちらはお変わりもございませぬか、当地の私どもはみな健やかですから御安心下さいませ。
京都はさぞかし、ほんとにいやな暑さでお弱りにならぬかと心配いたしております)
── 美しい姉の佑子がいつも夏痩せするほど京都の暑気に悩むのを典子は案じる。その頃の暦では六月中旬までが暑さ烈しく、七月ともなれば晩夏から秋冷の季節に入る。
さらに典子の福原たよりはつづく。
(わたくしの見た新都の印象をまわらぬ筆で述べるより、忠度叔父さまのこの地での左の御近詠で御推察下さいませ。
  たのめつつ 日数ひかずつもりの 浦見ても 松より外の なぐさめぞなき
父君は福原を天下の絶景とでられても、歌人の叔父さまは嵐山の桜、高雄の紅葉と四季折々の眺めに興じられてお育ちの旧都恋しく、この新都はただ山と海との間に四時同じ色の松のみ生いしげるのみで、さぞおさびしかろうと典子もいささか同感いたします。
冬ごとに当地の湊山ふもとの雪景色が父君のお気に召すあまり、そこにも建てられた雪見のための別殿が帝の仮の皇居となり雪見御所と申し上げて居ります。中宮さまも幼き帝のお傍においででございます
上皇さまは池殿の叔父さまの別荘、法皇さまは門脇の叔父さまの館を仮の御所となされます
あまたの供奉の方たちもその御所内に溢れて、下級の人たちは俄普請の板囲いの粗末な小舎に起き臥しいたす始末でございます。わたくしと隆清は安楽井たちと父君母君おいでの古くからの山荘の一部に食客いそうろうの生活ながら、まずまず何不自由なく暮して居ります。
いずれは、皇居も院の御所も造営いたし、殿上人の邸宅も建てる新都の町造りをいたすために、京の町にならって左右に一条より九条までの道路を開く土木工事が行われて居りますが、なにしろ山谷さんこく相交わりて平坦ならぬ地形とて、わずかに一条より五条までの道路より開かれぬとやらでございます。
そうしたさまざまの困難な事からも宗盛兄上は福原遷都に反対なされて父君の御機嫌を損じられ、間に立って母君もいたく御心痛と伺いました。
けれども典子は、父君が悪逆な僧兵たちのはびこる京を避けて、この新都に移られ、人心を新にして御政道を開こうとなさる雄大な壮図の御成功を神かけて祈らずに居られませぬ。
偉大な父を持つ娘として、これは当然ではございませぬか、祐さまはいかが思召されますか。
なにやかやと申し上げたきことやまやまございますが、ひとまず筆をおきます。汐戸にくれぐれもよろしくお伝え下さい。隆房中将もお元気のようにお見受けいたしました )
──ながいながいこの文は、とても折紙ちらしがきなどでは間に合わず、薄葉うすようの紙数枚をつらねたもので、おしまいに大嫌いな隆房ではあるが、佑子の良人ゆえいた仕方なくちょっぴりしるして、この典子からの姉佑子への福原たよりは終わっていた。
佑子はその妹からのながい文を、幾度も読み返すとその文のなかから、まだ見ぬその松ばかり見ゆる新都の松風が肌に沁み入る心地さえ覚える・・・。
2021/01/15

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