~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
還 る 都 (一)
今は旧都となった左京の冷泉万里小路の冷泉邸は主の隆房中将が新都福原の仮御所に仕えて六ヶ月も留守のこととて、夜は早く門を閉ざし家うちはしいんと静まっている。
二人の若君も寝間のあたたかなしとねの中に寝息を立て、家従や侍女も各自の控えの部屋にさがり、奥には北の方佑子が一人灯の下の文机に向かっている。
良人の留守をさびしいとか、空閨の歎きとか、人のありふれた想像の外の心境に彼女はその日を送っていた。
良人の姿を見ぬ日のこの夏から秋へ、そしていま十一月の真冬までの月日が、彼女に完全な開放感を与えて、もういちど彼女に過ぎ去った返らぬ日の青春をよにがえらせたかのごとくだった。
今宵火桶の埋火うずみびのほのかなあたたかみを覚えて空炷そらだきの香の漂うその居間で、彼女は乙女の日の西八条の対屋の姫に立ち返っている。
机の上には父の清盛が宋船で運ばせた中国の書棚から特に「冷泉家の佑子なら読めよう」と贈られた「名媛詩帰」が開かれてある。唐の白居易(白楽天)を学んだ娘の為に、この支那歴朝の閨秀詩人集とは、父の優しさに佑子は涙ぐむほど嬉しかった。
その詩書は良人隆房の長い留守の月日にこそ読むにふさわしいものであった。彼女がその書を開くとたちまち西八条の対屋にわが身はあり、傍には若き日の大江広元が漢文の師としてある心地がする。
いま机上に開かれる木版刷りの詩句はしん子夜しや女士の作、その作者の伝はつまびらかではないが、歌曲をよくし哀調ふかしと評されている。九百年ばかり前の女流詩人であった。
恃 愛 如 欲 進 愛をたのみて進まんと欲する如くなるも
含 羞 未 肯 前 はじを含みて未だすすむをがえんぜず
口 朱 発 豔 歌 口朱えん歌を発し
玉 指 弄 嬌 弦 玉指嬌弦を弄ぶ
佑子はこの詩句をいま眼でたどると、まぼろしの広元はわが身近くにあり、その人に進み寄りたいが羞恥におののいて出来ぬゆえ、傍の筝の弦を指で奏でて、切ない思いを歌曲に托して口ずさぶ・・・彼女はその詩句と同じ女心に従って恍惚とする。
その詩に酔う夢心地の彼女を、いま現実に引き戻したのは、居間に近づくあわただしい足音だった。そして汐戸がふすまを開けてかしこまる。
「ただいま、六波羅から使者が参り口上を申し述べました。近日に主上しゅじょう(安徳帝)、本院(法皇)、新院(高倉)御還幸遊ばされ、朝臣一同、福原より引き上げらるるとの事にございます」
「えっ、それはまたなんとしたことか! つい先日新都に皇居造営成りしと伝えられましたのに・・・」
佑子がこのほど典子に小袿こうちぎのはでな錦地や香木を送り届けさせたのも、その新都で亡夫の一周忌をすませて、ながい服喪をすました妹への心づくしだった。
「入道さまあのように御執心なされし新都御経営を、にわかにお取り止め遊ばされたゆえ、主上を初めみなみな京へお戻りのよし・・・」
そうした急転直下の都がえりであるとも知らず、京の公卿は心ならずも祖先以来棲み馴れた邸宅をこわしてその古資材を舟で福原に送って新都に再築を心がけた人も多いというのに・・・。
佑子もいずれ来春頃は良人が福原に敷地を得て建てる新居に引き移る予定だった。
「まあ、なんと、父君はいかばかり口惜しく思召されようぞ・・・」
いかなる反対にもめげず、福原の新天地に首都を築こうと意気込んだ父清盛の挫折を思いやると佑子は暗然とする。
「入道さまも、よくよくの事あればこそお志をまげられたのでございましょう。六波羅の使いが伝えますには、新院お恙あって御悩み重らせ給うとのこと。なお伊豆で旗揚げ後、石橋山合戦で敗走、行方をくらました頼朝が三万騎を率いて武蔵国に向い、弟義経が奥州より参陣の由、さすれば新都経営よりも、源氏追討のいくさをお進めなさらねば・・・まことに非常の時でございます」
つい先日の典子からの幾たびめかの福原通信のなかにも諸国源氏蜂起と、平家一族の信仰あつき熊野神宮の別当湛増が、かつて以仁王の令旨の件をいち早く六波羅に注進したのに、このたびは源氏へ寝返り、神罰たちどころに当たらんと典子らしい憤慨をもらしていたが・・・その後の情勢には旧都に残って邸の奥深く籠る佑子はつんぼ桟敷に置かれていた。
それがいまにわかに新都を放棄して京に都を返すと知って、ただならぬ平家の危機感が身にひしと迫る。
彼女は文机の上の「名媛詩帰」をはたと閉じた。もうまぼろしの若き広元は永遠に彼女のそばを離れ去った。
2021/01/17

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