~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
慟 哭 (二)
高倉上皇崩御のその翌二月はうるう年で、二月が二度繰り返される。その二度目の
二月一日に西八条の時子の使者となって阿紗伎が平家の姫の入輿先の花山院、近衛、冷泉、七条の各邸に参上、北の方にお会いしてひそかに「入道相国さま、このほどより“頭風ずふう”えを病ませられ御悩みなれば、お見舞いにお越しありたしと二位(時子)さまよりの仰せ、お伝え申し上げます」と口上をかしこまって述べるその表情も、いつもより打ち沈んで見えた。
“頭風”とは平安中期からの病名の種類を記した「倭名抄」第三巻に、“加之良以多木也万比かしらいたきやまい”とある。
西八条の父君病む!
この知らせは四人の北の方たちに烈しい衝撃を与えた。
源平の戦いの勝敗はまだあちらこちらで、ある時は源氏も勝つが、ある時は平家が勝つ、富士川では水鳥の羽音に平家軍が醜態を見せたが、近江、伊賀では平知盛、資盛善戦して源氏を敗退させている。奈良の僧兵蜂起しても平重衡が僧徒を討ち、東大寺、興福寺を焼き払い僧徒を処分している。典子が大弱虫と歎いた維盛もその後に美濃の源氏軍を攻め落としている。これはみな平家軍総指令部の清盛入道の指揮よろしきを得た為であると、平家の姫たちは天下一のわが父のおわすかぎり忘恩の徒の源頼朝が敗退すると信じている。
その偉大な父が、折も折・・・この源平戦うさなかに病床に悩むとは!
四人の姫は婚家から前後して牛車を実家の西八条に急がせた。
その彼女たちは父の病床の置かれる正殿に一歩入ると、あたりに立ち込める憂色の濃さに胸騒ぎを覚えて思わず立ちすくむ。
父の治療には名ある医師は典薬頭でんやくのかみも侍医も針博士も総動員されていた。その医師たちに囲まれるために清盛は帳台などに入らず、繧繝縁うんげんべりの畳二枚を重ねたしとねの上に病体を横たえていた。
若い時は美青年で中年も美丈夫だった彼も、六十四歳ともなれば首も太く肥満したが、それも髪を剃った僧体には似合わくさながら大僧正のような威厳を示していた。
純白の寝衣は日に幾たびも更えるほど、全身のあぶらの汗にしめったとは言え、熱病ではなく、それは当時の医師たちの診断による“頭風”であった。頭脳の異常な症状だった。
それはおそらく、脳の血管障害ではなかったろうか。
宗盛は父の発病によって出征を中止せねばならなかった。出兵が遅れるとその間源氏の兵力をますますはびこらせるが致し方なかった。遠く九州筑前では平家一門の平貞能がその地の源氏軍に囲まれ苦戦、すでに兵糧米も尽きたと援軍を乞う悲報が六波羅に達しているが、清盛危篤の状態では・・・援兵も兵糧もすみやかに送り出せぬ。内憂外患の平家であった。
父を見舞う姫たち ── 四人の姉妹も医師の見守る病父を遠くから哀しく見詰めるだけである。
父は昏々と眠っている如く、わが娘たちを認識しているとも思えぬ。ただその枕に近く身を置く母の時子が娘たちに顔を向けたが無言であった。その言葉を失ったような母の胸中を察すると、娘たちは涙さしぐまれる。
しばらくの時を経ると ── いつの間にかどこからか阿紗伎足音も立てぬほど、ひそかなもの腰で姉妹のうしろに近寄り、声を低く告げた。
「お疲れなされましょう。ちょと御休息遊ばしませ。二位さまもお案じでございます」
阿紗伎はどこからか、時子の無言の顔からその心を読んでいるのか・・・
姉妹はようやく立ち上がって正殿を出る。近くのひさし放出はなちでの広い板敷も、昼夜詰めかけている家臣や六波羅武士で溢れている。その誰もが声もなく沈み切っている。
姉妹の休息所には姫時代を過ごした東西の対屋のうち西が当てられ、姉妹はそこへの渡殿を辿った。
2021/01/20
Next