~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
幻 妖 (一)
清盛の柩に白綾織の覆いがかけられ、その上に赤地に白で揚羽あげはの蝶の家紋をぬいた平家の軍旗が一流のせられて、いよいよ洛東愛宕の火葬場に送り出される直前に時子はその前に粛然とすわって、
「みなのもの、亡き入道相国の御遺言をよく承れよ」
と言い出すと、その場の一同は水を打ったようにしいんと静まった。
「入道さまの御病中のひと夜、御悩みもやや安らぎて医師くすしもしばし御病床を離れ、看護の者だちをも疲れを憩わせに去らせ、わが身のみ御枕辺にかしずきし折りに、御発病以来おことばもさだかならざりしに、不思議にもその時はお声ももつれず『そなたと連れ添うてから三十と七とせの歳月を共にしたの』と仰せられたに、胸ふさがって涙こぼるるわが顔を眺められて『泣くな、歎くな。しょうある者は必ず死する。さすがの清盛もその習いにはそむけぬわ。わが一生は恵まれて官位は太政大臣にのぼり、一族の栄華の道を開き、当今とうぎん(安徳天皇)の外祖父たり。いまさらなんの不足はなけれど、ただ口惜しきは伊豆の小冠者こかんじゃ(頼朝)に油断せしわが生涯の不覚。彼の首を斬らずして、もしわれ世を去らば、それのみ心残りぞ。清盛世を去るとも法事は一切無用。供養の塔も堂も不用。わが墓の前に彼の首を供えるが何よりの供養ぞと宗盛初め六波羅の武士団に必ず告げよ、頼む』と仰せ終わると、お気がゆるんだか、そのまま高いいびきをたてられて・・・」
ふたたび昏睡状態に陥ったのであろう。
── 一同の者はしわぶき一つ立てず聞き入って頭をさげるのみだった。
これは、はたして病重く言葉も弁ぜぬ病人の奇蹟的に正気づいて判然と言い残した言葉であったか、あるいは賢夫人のほまれ高き時子が亡夫の無念の胸中を察した“遺言”の代作であったか?
そのいずれにしても、平家一族一門の太陽とも仰がれた清盛を失って悲嘆に沈む武士たちを奮起せしむるみごとな壮烈な遺言となった。
── やがて、柩は白木の輿こしによって松明たいまつをかざす先駆さきがけと宗盛以下一族、家臣と武士団に守られて、しずしずと愛宕に向かった。
その火葬場まで柩に従うのは男子のみで、女子は廻廊の階段前の白砂の庭までが最後のお見送りだった。
四人の姫たちは、母君と共に、父の柩へ従者のごとく門外に去るまで、白砂の庭に立ち尽くしていた。
その時、冷泉北の方は ── 尽日じんじつ後庁こうちょう一事なく、白頭の老監、書を枕にして眠る ── この白楽天の詩句が思い出された。それは父清盛が一日として西八条にくつろがれる暇もない超人的な多忙な日を送られるのを少女のゆう子は見て、時たまには政務を離れて詩中の老図書館長のように悠々と書物を枕にうたた寝をなされたらと願ったのに ── ついに父君には人生のうたた寝の寸暇もなく倒れるまで・・・美しき冷泉北の方は忍び泣きをされた。
その白砂の庭の空には、まだ育たぬ細い上弦の月があった。この月下の愛宕の火屋ほやの炎に、“一代の英雄”平清盛は灰となる夜だった。
その遺骨は夜半にふたたび宗盛以下一門に守られて西八条に入り、明日は訃報ふほうを伝え聞いて馬や車で馳せ参じる朝臣、公卿の弔問客に備えての葬礼を行う。
「また明日のこともあるゆえ、いずれもの北の方はひとまず帰られて、、心静かにやすまれよ。歎き傷つくはかえって亡き父君への不幸となりましょうぞ」
時子はこうした際も、先刻の遺言告示と同じように、いささかも取り乱さず毅然とした態度で、姫たちは近づきがたかった。
2021/01/21
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