~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
女 院 号 (一)
── 昨夜半、西八条北の対炎上、正殿の廻廊なかなと西の対渡殿に延焼中を鎮火二位さまおつつがなく、侍女一同も無事にて今暁六波羅の御館にお移りなされしゆえ、御安堵遊ばされたく、この旨御奥に言上ごんじょう願い上げます。ついては、にわかの六波羅お移りのためお取込みにて混雑、御当家北の方さま御見舞の儀は数日後までお控え戴くよう二位さまの思召しにてございます。
と注意も付け加えられた同じ報告を、使者が早馬で駆けまわって平家の姫たちの婚家の邸宅に伝えたのは、ゆい昨日、円実法眼の一行が入道相国の遺骨を奉持して福原に出立したその翌朝であった。
七条坊門の故修理大夫の未亡人典子は起きぬけの耳に安良井から聞かされた。
「まあ、これは何とした事であろう、母君をようやくお寝かせして帰った日のその夜とは!すぐにも母君のごようすを伺いたいけれど、お取込み中でしばらく控えよとあらば御遠慮申さねばならぬが・・・安良井そなたがひとまず参って阿紗伎から委細を聞いてたもらぬか」
「はい、仰せまでもなく、さようはからねばと存じまする」
と、気もそぞろに安良井ははしさって立った。
六波羅の清盛夫妻が新婚当時から数年西八条へ姫たちと移るまで過ごした本邸には清盛が出家姿となっても、政界の黒幕としての支配力を示す公務を弁じに西八条から日々通っていた。
西八条火災後、時子が侍女を引き連れてそこへ移っても、その日からなんの不自由もないほどに調度用具は揃っていた。
西八条の寝殿造りの形式と違って、実用的な武家屋敷風だった。
安良井はやがて六波羅の総門をこぐって入る。彼女は母の汐戸と共にここに清盛夫妻が棲んだ頃から仕えていたので、なつかしい顔でそのなかの案内もわかっている。
板葺いたぶきの簡素な中門廊は開け放しで、“遠侍とおさむらい”と呼ぶ警固の武士の詰所であり、出入りの監視所でもあるが、典姫の乳母で七条坊門邸からの使いの彼女はとがめられるはずもなく通過して奥へ入る。
廻廊だの渡殿だのと、ものものしい所を辿らずとも黒びかりする大廊下を進むと、西八条で顔見知りの侍女に会う。
「みなの衆御無事でなにより。阿紗伎さまにお眼にかかれましょうか」
「はい、しばらく此処でお待ちを」
と一間に通される。
今暁にわかに移った折の大混雑もようやく静まったらしく、あたりはしいん・・・としている。
静かなのはこの居館ばかりではなく、六波羅全体が以前と違ってしんとした感じなのは、この平家武士団の根拠地の兵馬が数多いま地方の源平合戦に出征中で、京にとどまる留守部隊だけだからと、ふっと心さびしく思われる。
「これは、これはさっそくに」
と阿紗伎が現れた。昨夜の椿事と重なる心労にか眼のまわりがうすく黒ずんで見えるのに、安良井は胸痛む思いだった。
「先刻、使者の口上にてお伝えいたしたような次第で、まずまず二位さまにもおつつがなく、御衣裳お手まわりのもの少々は持ち出せました。われらは物は灰にいたしたけれど身体にはかすり傷ひとつ受けずに焔の中をまぬがれました」
阿紗伎の言葉に、はっとして安良井は恥じ入った。冬夜は西八条も人手少なく侍女たちの衣類は火に失せたであろう・・・に、ただ急ぎに急いで、何も差し当たってそうしたお役に立った見舞いの品も持たずに来たうかつさが悔いられる。
その時、侍女が顔を出して阿紗伎に、
「冷泉北の方お使いにて汐戸どのお見舞いに参られました」
告げるその声より早く汐戸がしずかに入って来た。そのうしろには大きな葛籠つづら二つを雑色四人が運び込んで来た。
その汐戸はまずお見舞いの口上を阿紗伎と応答してのち、娘の安良井を見やって、
「祐姫さまの仰せには、七条のお邸にも立ち寄り安良井と連れ立って参れとのこと、するとそなたはもう一足先に出かけたが、典姫さまが冷泉北の方よりの葛籠を御覧じて、『これはまことに不念ぶねんをいたした。先年この七条の邸炎上のみぎり焼けぶとりと蔭口のあったほど品々を贈られたに』とこのひと葛籠をおことづけ遊ばされて持参いたしたが、お付きの安良井こそ不念者よの」
と母の汐戸に叱られて、安良井は冷泉北の方が妹思いのお優しさから、念のためわざわざ母を七条家に立ち寄らせてお見舞いの配慮に手落ちなきようはかられたのに頭が下がって、ものも言えぬ。
2021/01/22
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