~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
女 院 号 (三)
円実法眼一行が福原に到着した日は、清盛の別邸、かつての雪の御所に遺骨を安置し、その夜は経文を誦して霊前に一同夜を明かした。その翌朝は福原駐屯の平家武士団参列し、法華堂境内の墓地に埋葬、入道遺愛の庭石を当座の墓じるしに置いて、その前に焚く香煙の中で礼拝を終わった。墓の二基の灯籠には法華堂から夜ごとに油差しが来るはずである。
一行は埋葬の儀終了を報じに直ちに帰郷の途についたが、その中で美濃六だけは孫の小六郎が門脇殿(教盛)の山荘に宿衛の武士なので、そこにしばらく滞在して帰ると申し出てとどまった。
円実法眼の一行の船が暮色の草津に着くと、そこに六波羅から迎えの武士数人が待ち受けて「西八条火災を蒙り、二位さま六波羅本邸に御移り」と知らされて驚かされた。
── 教盛山荘の侍屋敷に棲む孫小六郎夫婦の歓待を受けて泊まる美濃六は、その夜もてなしの酒に酔ってしきりと同じことを繰り返して口にした。
「ああ思えば入道さまはあの世でさぞ御不自由なされるであろうの、お肩が凝っても蒸風呂で揉んで差し上げる者もあるまい。お背中をしごいてお汗をとる奴もなっし、美濃六を召されてもこの身はもうおそばには参れぬわ」
祖父じいどの、もう入道さまは御仏になられたからには、お肩も凝らぬ極楽浄土におわすのじゃ」
小六郎が言っても首を振る。
「若殿の頃よりおそば付きの近習“美濃六、美濃六”と絶えず召されて革足袋の紐までこのわしが結んであげねば、ほかの近習ではお気に召さなんだぞ。それからやがて装束筒奉仕もこの美濃六でなければならなんだ。このわしがこの世に残っては、“美濃六”と召しがあろうとも十万億土彼方までいかで参上出来ようぞ」
日頃は酔ってもかっして泣き上戸ではなかった彼はこの夜は飲む酒が涙に変わったように頬にしずくをしたたらせる。
祖父どのも年齢のせいで頭が老化したかと小六郎は顔をしかめるが、嫁の菊女は優しい女心に感傷を誘われて涙ぐむ。
その酔って泣く美濃六を孫夫婦でさながら子供をなだめすかすようにして、寝間のしとねのなかに寝せつけてほっとすると、もう夜も更けて居た。
翌朝小六郎が寝過ごしたのは、ゆうべ祖父どのを相手の夜更かしのせいだった。毎朝たつの刻までには門脇殿山荘の侍詰所に出ねばならぬ身とて、慌てて朝餉あさげもそこそこに身支度して妻に、
「祖父どのはまだ寝込んでいられるか」
「まだおよっていられると見えて、そこのお寝間に物音ひとついたしませぬ」
菊女は答える。
「そうであろう、夕べはあれほど酔うて泣かれたからには老体にこたえもしたであろう。ゆっくり寝かせておいてあげるがよいぞ」
と言い置いて良人の出たあと、菊女は足音も水仕事もひそやかに静かにとふるまって祖父の朝粥あさがゆを用意していたが、まだ祖父どのが起き出した気配もないのに、その様子を見に寝所の遣戸をそろりと開けてのぞくと、茵の中に姿がない。裏の山清水のかけひで顔を洗いにか、と出て見たが居なかった。
── 侍詰所の良人に菊女が走り込んで伝えると、小六郎は「入道さまのお墓詣りよ」と断定して驚かなかった。
「さりとて朝粥も口にされずに・・・茵の中はぬくもりもなし。もしや夜明けに脱け出されたなら、もうとくに帰られてよかろうに」
法華堂の墓地はやや遠い高台で浜の松風のたえず鳴るさびしい所である。
「祖父どの、そこでまた泣き暮れていられるかな、迎えに行かずばなるまい」
と、菊女を連れて出かける小六郎に、同輩四、五人が「われらも墓参りを仕ろう」とがやがや伴って法華堂への山坂をたどる。そのあたりまったく昼も人影のないさびしい入道相国のおくに出ると一同の先頭に立った小六郎が、「祖父どの!」と絶叫して走り寄った。
その入道相国の墓印の閃緑岩の巨大な石庭の前に、美濃六平太は平伏の形で打ち伏せ、咽喉を貫いた小太刀の切先きっさきがその首のうしろに突き出ていた。入道相国の奥つ城の土は血汐をすでに吸い取っていた。墓印の巨岩の裾には右に金襴の袋に納められて銀の装束筒、左には新しい真綿を巻いた“お汗流し”の竹箆たけべらが墓前へ供えるように置いてあった。彼のよそおいは平氏家臣の右折烏帽子に主家の胡蝶の紋をつけた染直衣そめのうし・・・これは清盛公参内に“しと筒”を捧持して皇居の白砂の庭に控える時の着衣だった。
一同言葉もなくただ松風の音のなかに暗然とそれを見守った。まわりに鳴るその松風は菊女の咽び泣きさえ消す。海近く風あらく松林に当たるその高台である。
── その夜、法華堂の老僧の供養の経の声の中に、美濃六平太の亡骸は、新しい白小袖に括袴くくりばかまの腰に咽喉を貫いた血を浄めた小太刀を帯させて納棺、なかに“しと筒”と“お汗流し”と共に血染めの染直衣も納めて、故入道相国の奥つ城よえいはるか下手の位置の墓地の穴におろされた。
福原の荘に駐屯の平家武士団が手に手に松明を振りかざして、美濃六平太が入道相国に召されゆく黄泉よみじを照らした。
その明けの朝、小六郎は祖母汐戸とわが母安良井に手渡す祖父の遺髪を直垂のふところ深く納めて馬に鞭打ち陸路を京へと走りに走った。
2021/01/23
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