~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
母 の わ か れ (二)
その月二十一日大嘗会の大みそぎ、安徳天皇は御禊(神事にのぞむ前に川で身を浄める)に行幸される、その供奉に宗盛は“節下せちげ”の大臣おとどを仕る。“”とは大嘗会の禊の儀式に立てる旗である。内大臣の彼はその旗の下を行くのだった。
その供奉の列の進む道中で彼は待賢門と三条京極のほとりと、二ヵ所で不覚にも落馬した。二度目には彼の馬上からの転落で節旗の竿が折れてしまった。
六波羅の馬場で少年時代から乗馬の稽古をさせられた三十六歳の平家の頭領としてあるまじきことだった。不吉の兆と言われても仕方がなかった。
御禊の行列の見物には人出が多かったから、この“節下大臣”落馬の椿事は洛中の評判となった。
宗盛の妹たち、花山院、近衛、冷泉各家の北の方、七条家の未亡人典子の耳にもそれは伝わった。
「兄君も御心中ただならぬお悩みを堪えて、晴れの“節下の大臣”をお勤めなればこそ、かかる御失態を・・・さぞかし六波羅の母君もお歎きなさろうに」
と異口同音に涙ぐんだ。
彼女たちは、君子人の世評高かった亡き異母兄の重盛には親しめなかったが、三兄の宗盛には親しみが持てた。その三兄のお坊ちゃん育ちで苦労知らず、色白のふっくらした顔立ちは、武士で殿上人になった平家の子息というより、生れながらの上級公卿の公達きんだちのような感じがあった。
彼は青年の頃、源頼政の嫡子仲綱が評判の名馬を持っているのを欲しがり、とうとう取り上げてしまった。頼政親子は無念でならぬが、平家の勢力に屈して泣き寝入りをした。
その父子の怨念がやがて先年の以仁王を説いて令旨を全国の源氏に与えさせ、京都では以仁王と共に頼政が反平家の兵を起したのだ、と言われるほどの我がままな印象を与えた彼が、今は父清盛の威光を背景にした昔と違って、宗盛自身の実力で平家一門の勢力保持につとめる立場は、彼にはたしかに荷が重すぎると、ひそかに妹たちさえ危ぶんでいるだけに、その大失態の落馬もいまさら責めるよりもむしろ同情するより仕方がないのだった。
── 宗盛は御禊御幸の際の過失の責めを負う意味からも、やがて内大臣を辞任した。
内大臣の辞任とは比べようもない下級の官吏二名がその頃に職を免ぜられたのも、やはり大嘗会が原因だった。
その下級官吏二人の免職は“舌禍”によってだった。その官吏は少納言局の少外記しょうげき三善康信と大江広元両名である。
少納言局は宮中臨時の儀式の事務をつかさどる。大嘗会の準備その他に大多忙の最中に、その事務取扱いの少外記古参の三善康信と同僚の大江広元が不謹慎な私語を交わした。
「この凶作つづきで民は餓えて路傍に屍を曝すというのに、大嘗会を催さるるはいかがであろうか」
どちらかが言い出すと、
「いかにも、その大儀式の費用にせめて一椀の黒粥くろかゆなりと民に恵まれてほしい!」
と応じたこの言葉が局内にひろまり、朝廷に仕える官吏として不埒千万とあって上司に咎めを受けて両名は職を免じられた。
それは、その免職官吏の放言があまるに真実なので上司が恐怖した結果かも知れぬ。
大嘗会の式場で神前の祭壇への供物の新穀に代って、松や紅葉の枝が供えられて、式に列した朝臣は「古来こらいいまだ聞かず」と嗟嘆さたんしたという。
白河法皇の握らるる院政によって、法皇は幼い孫の安徳帝にそういう大嘗会をさせて興がるのであろうかとさえ人はあやしむ。節下の大臣宗盛のあわれな落馬さえ、この法皇には愉快な笑いの止まらぬことではなかったろうか。
ともあれ、この宮廷の一大行事によって、内大臣が辞任し、少外記二人が職を棒に振ったのだった。内大臣の辞職は大きなニュースだったが、小官吏少外記二名の免職などは世に広まるはずもない、いとささやかな出来事で終わった。
その罷免された元少外記の両人はその後、乗馬の稽古を熱心に開始した。彼らは過失によって職を追われたからには、規定の退職金など与えられぬはずを、上司の情で特に長い年月の勤続に対して幾分かの慰労金を受けた。それに足して三歳の若駒を購入したのだった。馬はもう京都付近では払底していた。それは源平の戦いで軍馬に徴用されるからだった。この若駒は康信の弟康清が以前伊豆へ、いまは鎌倉に本拠を定めた頼朝へ、兄康信が京の情報を伝える密書をもってひそかに辿る道中の村落で手に入れたものだった。康信はその黒毛をじぶん用に、鹿毛かげのを広元にすすめた。
康信には多少乗馬の心得があったが、広元は少年期から所望の虫で鞍にいまだまたがったこともないのを、康信兄弟が手とり足とり教えて洛外の遠乗りに連れ出すのだった。
「広元殿には馬は苦手と見えまするの」
と、ともすれば馬の背にしがみついて落馬を怖れる広元を康清が笑うと、
「学問のようには参るまい」
と康信が気の毒がる。その通り学問一筋の広元には初めて接する“馬”という生物をぎょするのは難しかった。だが彼は鬱然うつぜんとした顔で馬上にまたがり乗馬の稽古を励んだ。
2021/01/24
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