~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
白 鳥 の 歌 (二)
父の再婚に平家の姫が迎えられる前に、いち早くわが邸から身を引くように伯母の唐橋典侍をたよって内裏にわらわとして仕えてから、その智恵才覚のすぐれたゆえにまもなく内侍ないしに進みかがて権内侍に、そして高倉帝の寵を受けて二皇子の母となった殖子が、伯母唐崎と侍女たちと共に実家の七条家に移ったのは真夏も過ぎて涼風立つ七月の中旬だった。運び込まれた多くの荷の中には、うるちもち米、大麦小麦など穀類と大豆、小豆あかあずきまでゆたかにあった。かつて、衣食ゆたかだった七条家でも、今では凶作が続いた荘園の収穫とぼしく食糧事情よからぬ時に、さすがに二皇子の生母の許には朝廷からも特別の配給もあってかと七条家の家従は眼を見張った。
それを知った典子は二皇子御生母の食料を浸蝕せぬように台盤所を二つに分けようとした。その旨を安良井が殖子御後見の唐橋に申し出ると、即座に断られた。
「なにを仰せられます。さような御斟酌を遊ばされては困ります。典侍は今まで母君に何ひとつお役に立つこともなされず過ごした娘として、このたびは同じ屋根の下に母君と日々を送るを亡き父君さきの修理大夫さまもあの世でお喜びと申されて、御所をさがる際に賜りし多分のものものそのために役立ててと申されますに、それを台盤所を別になどとは、あまりに水くさきお言葉とお歎きになりましょう」
安良井はひたすら恐縮して引き下がり典子に伝える。
「まあ、それでは隆清とわたくし、そなたたちもみな典侍に養っていただくようなものよ。心せねばなりませぬ」
と言ったが、さぬ仲の殖子のなみなみならぬ心の深さを知ると、この人がわが姉の建礼門院を凌いで高倉帝の寵をほしいままにしたのも、容色よりその英智の魅力かと思えた。
── 日ならずして、冷泉北の方の佑子が七条家を訪れたのは、安良井が冷泉家の母の汐戸に通じたからである。
典子は母屋の広間に姉を伴い照会した。平家の娘、そして隆房中将の北の方も二皇子の生母には丁重な作法をとると、殖子もねんごろに真情こもる挨拶だった。
「亡き父が冷泉家の北の方は美しく御利発なお方と申しました。かねてお眼にかかりたいと願ってもおりました」
これは佑子が妹典子の縁談を進めるために七条家に破格な訪問をした折の印象を亡き信隆が娘に告げたからであったろう。
「典さまはわたくしども姉妹の末で母君の御秘蔵子、天真爛漫なお気質ゆえ、かならず典侍さまとお仲睦まじくお過ごしになられましょう」
と佑子が言えば、殖子もうなずき、
「兄の信清もそう申しました。母君には母娘おやこというよりは姉妹のごとくへだたりなく振舞うをお許しいただくつもりでございます」
一つ違いの兄の信清と同じ年齢の継母とは、たしかに姉妹の間柄が自然である。
このような会話の上首尾で佑子が殖子の前を辞し去るとき殖子は言う。
「母上(典子)の許にお遊びにお越しの折はどうぞまたお眼にかからせて下さいませ」
北廂の間で佑子は典子と向かい合うと、
「六波羅の母君には、ここ七条家に典侍をお迎えのことを早くお知らせなされませ。母君の先日仰せのように、源氏との戦いに備えて平家一門いつなんどき六波羅を引き揚げるかも知れませぬが、そのあと典さまが二皇子の御生母の母として共にお暮しなされば、母君もさぞかし御安堵でございましょう」
「はい、今日にも使いを出すことにいたします」
典子はいつも妹思いの姉のこまやかな注意をうれしく思いう。なにしろ彼女は殖子を迎えて何やかと心づかいで母への報告を怠っていたのだった。
2021/01/27
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