~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
白 鳥 の 歌 (三)
その後の七月二十四日の昼、法勝寺の執行しぎょう(寺務長)の能円の妻範子が二皇子の守貞もりさだ親王と尊成たかひら親王、五歳と四歳の御兄弟とその乳母たちを連れて御生母を七条家に訪れた。清盛婦人時子の計らいで、殖子からの二皇子は時子の兄能円夫妻に養育が託されていたが、このたび生母の殖子が実家に移られたので、二皇子の健やかな姿をお見せするために現れたのである。
皇子の養育責任者の能円は、典子には伯父であるから、その妻の範子にも初対面ではない典子は、わが子隆清と共に二皇子にも謁した。殖子より一つ上だけの典子は格式からは二人の幼い親王の外祖母になる。
その若い外祖母の初めて見た二皇子 ── 二の宮(守貞親王)は父君の高倉帝におもかがが似ていられるが、四の宮(尊成親王)は気のせいか亡きわが良人信隆卿に相似の眉目が宿る心地がした。
そうした隔世遺伝はよく生じることだったから、あながちあが眼のあやまちとも思えない。
兄君の二の宮は高倉帝に、御気性も似られて気弱に控え目でいられたが、四の宮は外祖母にもすぐなじまれて、叔父にあたる七歳の隆清の誘うままに七条家の広い庭に乳母と共に出られる。
「鶴が昔のようにあればお眼にかけられるのに・・・」
と、典子は惜しいことにと思うと、
「いいえ、人間さえ口にする食にこと欠くこの頃、あのように数多くの鶴を養うては天罰が七条家に当たりましょう」
と殖子は母を慰めた。
── 鶴のない庭ではあったが、よく掃除もゆきとどき、萩のくさむら小径こみちに紅白の花が散りこぼれて美しい、その一筋の小径を隆清はその頃の少年の遊びの輪まわし・・・を上手にして走ってお見せした。それは割竹を丸い輪にたがねた ── 桶のたがのようなものを、木の枝で先をY字型の指叉さすまたにした枝で押しころがして走り、いつまでも輪が倒れぬのを誇る遊戯だった。
四の宮は隆清の輪まわしがお気に召して御自分もなさりたいと乳母にいねだりになる。隆清の使い古したそれをお貸しするのは畏れ多いと、彼の傳役が予備に造って措いた新しいのを急いで取り出してお手許に差し上げると、宮は喜ばれて輪を指叉で突いて走られるが、すぐ輪は横に倒れてしまう。それを隆清が御指導すると熱心に真似て走られる。
その庭の光景を二の宮は乳母の傍でおとなしく見ていられる。
やがて空が曇り遠雷がひびいた ── 範子はもうそろそろわg邸へお連れして戻りたいが、宮が竹の箍と指叉をお離しにならぬ。
「もうお帰りにならねばなりませぬに」
範子が気をもむと殖子は言う。
「あのようにお愉しくお遊びになられますのをお止めいたすもいかがでしょう。もし叶うことなら今宵はこの七条の館にお泊りいただけますまいか」
殖子は御所を退がってからはわが生せる皇子を手許でと思わぬではなかったが、かねて二位殿(時子)のはからいのままに能円夫妻にゆだねてあった。
「母君の許に一夜をお明かしなさるも、めでたきことでございますから、わたくしは二の宮をお連れいたし法勝寺の邸に帰り、明日お迎えに参じます」
気転のきいた範子は殖子の希望を叶えさせて、四の宮とその乳母を残して七条家を立ち去った。
二の宮は弟君の快活なもの怯じなさらぬ御気質とちがって亡き父君の高倉院の御幼少の頃のように内気な方であり、乳母をまことの母のようになつかれて、その日も素直にお帰りになる。そのあとで驟雨しゅううがひとしきり降ったので、ようやく輪まわしを宮もやめられた。
2021/01/28
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