~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
白 鳥 の 歌 (四)
信清は中務省から帰ると、皇子がお泊りになると知って驚き緊張して典子に告げた。
「これはまたまことに光栄至極です。妹典侍もさぞ喜ばれましょう。母上も御案じなく、みこの今宵の御寝所近くには信清が宿直とのいを仕ります」
典子もわが邸が皇子の仮のお宿となると、やはろ緊張して家従たちに交代で邸や庭を一夜中見まわりさせていた。
翌朝は晴天、御機嫌よくお眼ざめの四の宮は朝の供御くごも乳母が驚くほど召し上がった。御誕生から今まで能円夫妻の邸内だけでひたすら貴重な扱いで外の風にも当てられぬ宮は、七条邸で初めて違った雰囲気の邸が珍しくおもしろく、わが生母の身辺に居られるのを不思議がられ、また隆清という少年の遊び相手を得てこれも初めての輪まわし、これは町の子の遊戯とて能円邸などでは決してなされぬ遊びの愉しさに嬉々とされて、人見知りをされず誰にもすぐなじまれる愛らしさに、安良井や侍女たちにも四の宮はたいそうの人気で、信隆卿逝去後はとかくひっそりした感じの邸内がにわかに明るく笑い声がひびくのだった。
その日の朝も宮は庭で隆清を相手に輪まわしに興じられると「だいぶ御上達なされました」と生母殖子は母の典子たちと母屋の縁から眺める。信清は昨夜の宿直のあとも怠けずもう出仕していた。
この長閑のどかな七条家へあわただしく現れたのは範子だった。
「おやまだお迎えはちと早いではありませぬか、せめてもうしばらくの刻(十時)頃までこちらでお遊びになってから ──」
と典子が義理の伯母に言いかけて、その範子の顔色のただならぬに驚かされた。殖子もそのようすに不審の眼を向けると、範子は日頃の落着き払た態度の平衡感覚をまったく失った慌てふためいた声で告げた。
今暁まだ明け方の月残るに六波羅より早馬の使者付き添うて牛車のお迎えを受け、『二皇子をお連れして能円殿直ちに参上ありたし』との口上、あいにく四の宮には七条邸に昨夜お泊りとて、とりあえず・・・まだおよって(眠って)いられる二の宮のみをお抱きして良人は六波羅へ向かいましたが、いかなる火急の御用かは、やがてお帰りになれば承れるとお待ちいたせどなかなか良人も宮もお戻りなく、そのうち京の町々ざわめきて噂に、の刻(午後六時)には六波羅より帝の御輿みこしと建礼門院、二位さまのお車つづきて、さきの内大臣おおいとの(宗盛)初め平家御一門の軍兵おびただしく朱雀より南へ鳥羽の道を淀の川尻へ向かわれたとのこと! さては良人能円は二の宮をお連れしてそのまま帝に供奉いたしたとあいみえます」
典子の胸はこわばった。いよいよ来る時が来たのである。母時子がしの覚悟はすでに娘たちに言いきかせてあるから、決して取り乱しもしない。だが言葉もない。次の間に控える安良井も暗然としてうつむく。
範子は吐息して殖子に問うた。
「兄君の二の宮が帝に供奉なされしからには、四の宮も今からでもお連れして淀の川尻まで御幸にあとに追いつけるものならと千々ちぢに思い悩みまするが、いかがいたしましょうぞ」
直ちに殖子の答が返された。
「今はたつの刻(午前八時)をなかば過ぎしにどうなりましょう。二の宮が帝に従われしからには、四の宮はこのまま京にお残りなされても仔細はございますまい」
七条邸の家従たちがころがるように縁に走り込み、わなわなとおののく膝をついた。
「ただいま、六波羅、西八条にも火の手が空高く上がりました!」
典子は今日のわが実家一門の都落ちはただならぬ覚悟、背水の陣を敷くと知った。あの広大な六波羅の館と池殿、門脇殿一族の邸と亡き兄重盛の小松邸も、せっかくまだ焼け残った西八条も今はむなしい煙となって京の真昼の空を覆うのだと知ると、その空を仰ぐ勇気はなく、双眸を閉じると睫毛まつげから涙が流れる。安良井はむせび泣く。殖子も範子も慰める言葉を見失った。
その日のこの刻、典子の姉君たち花山院、冷泉の各北の方も同じ思いであったろう。
2021/01/28
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