~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
白 鳥 の 歌 (六)
安良井が思いがけなく現れたのを出迎えた母の汐戸は喜ぶより不安な顔になり、
「今日のこの時、もしや七条家になにごとか起りましたか」
と問うて安良井を慌てさせた。七条家には二皇子の御生母が居られる。そして今日の出来事・・・汐戸もおそらく北の方佑子も妹君を案じられたと察すると、安良井はその点は安心されるよう弁ぜねばならぬ。
「ともあれ、北の方おん前で仔細を申し上げるがよい。『かねて母君より内々の仰せはあったけれど、典さまがどのようにお歎きか』といたく御案じじゃった」
佑子の前に安良井が導かれると、まず昨夜四の宮がお泊りにて、今日能円法印二の宮を奉じて都落ちのこと、四の宮は藤原範李邸へ移られたと報じ、典子が信清から法皇は平家の迎えを避けて延暦寺にと聞かされて衝撃を受けたことを手短に語ると、佑子はやるせなくもの悲しくうなずかれて言われる。
「法皇さま平家をお見棄てありしことよりも、わららに哀しきは、一族の血のつながる池殿(頼盛)の叔父上が途中より車を京へ返されしことよ。それに摂政さまも御自分の車を棄てて北の方(寛子)の女車に乗り込まれ御夫婦もろとも京へお戻りなされたとやら、もはや歎くもせんないことに思われます」
安良井はこの新しい事実を冷泉北の方から初めて知らされ驚きに打たれて、
「摂政さまは、法皇さま京に留まるるぬ従われたとも納得いたしまするが、入道さま(清盛)弟君の池殿がなにゆえに同族を裏切られてか、あまりといえばあまりな・・・」
勢い込んで頼盛を怨む安良井を抑えるように汐戸がそれを説明した。
「敵将頼朝の十三歳の危ない生命を池殿の御生母池の禅尼が入道さまに乞うてお助けなされた、その御恩に酬いたしと、かねて鎌倉からひそかに申し越されてあったとやらの噂もあり、そのようなことでありましょうの」
「さりながら保元の乱後、父義朝にはぐれて道をさ迷う哀れな少年武士を助けて六波羅に連れ参り、伊豆へ流される時も途中まで送って優しき心づかいを示されたという池殿の家臣弥兵衛宗清どの、その宗清がこのたび池殿をそそのかしたのでもありましょうか」
安良井は頼盛の裏切りの原因を想像すると、北の方佑子がそれを強く打ち消した。
「いえ、いえ、その弥兵衛宗清とはまことに心すぐれた武人と知りました。池殿の叔父上から宗清にも京へ共に帰れとすすめられた時に『たとえ佐殿すけどの(頼朝)恩を着らるるといえども、我は平家累代の侍、いま危急存亡の主家を見棄てて命の安全を計ろうとは思いませぬ。福原へも地の果てまでもお供して、かつて命を救われし平家に弓矢を向ける源氏の軍勢と戦って果てましょう』よいさぎよく主従の別れを告げて福原へ向かったとのこと」
「あっぱれの武士、千載のあとまでも平家のほまれでございますのう!」
安良井は涙ぐんだ。彼女の父美濃六が亡き入道さまを慕って殉死を遂げているだけに、ひとしおの感動にゆさぶられて千載のあとあとまでもと言った通り、弥兵衛宗清は後年徳川時代の浄瑠璃“一谷嫩軍記”に「池殿と言い合わせ頼朝を助けずば平家は今も栄えんもの、エッ、宗清が一生の不覚」と悲痛な声をふりしぼって語り伝えられている。
「新中納言さま(知盛)は祖父忠盛公より平家の本拠六波羅を退転するのは無念、義仲の軍勢京に入らばいさぎよく迎え討つべしと仰せられたに前内大臣さきのおおいとのさま(宗盛)は西国は平家の地盤、いったんそこに退きて敵をいざない討たんと説かれてついに福原へ ── 御兄弟ながら御気質は違いまするのう」
汐戸は割り切れぬ気持で言う。
安良井はこの邸に来て次から次へ新しい情報を聞かされて呆然とした。
「まあなんと、さまざまのことがこの冷泉家にはもう伝えられておりなするの」
「それは今朝方。淀の川尻まで行った者の、木曾の軍平と一戦も交わさでみすみす京を落ちゆくが一味が引き返して六波羅の焼け跡にたてこもった、その侍たちの口より池殿の御卑怯、宗清のさわやかさなど早くも伝わって参ったのじゃ」
汐戸が言うのを聞き、安良井は一刻も早く今知った真相を典子に伝えたくいとまを告げると、北の方は、
「この際、一筆なりと文を典さまに差し上げたけれど、いまは胸せまりて筆もとれぬが、先の日に六波羅にて母君の仰せに『そなたたちの婿君は冑鎧よろいかぶとを身に付けぬ公卿の官職にあるゆえに、源平争乱にかかわりなきところにあらねばなりませぬ』とのお言葉に従い、何事があろうともじっと堪えてゆかねばなりませぬ。心して取り乱さずお暮しなさるよう、くれぐれもお伝えしてたもれよ」
「はい、しかと心得ました」
「安良井、典さまを頼みますぞえ」
「はッ、身に代えても・・・」
安良井も胸がいっぱいになる。
「明日にも木曾義仲の軍兵が入るやも知れぬこの物騒な京の町中、ことに今は夕暮れ近い、この邸の武術たけた衛士えじをつけて七条家へ送らすよう汐戸はからうがよい」
何から何まで優しい佑子の扱いに心あたたまる思いで安良井が去るまで、邸のあるじ隆房中将が近衛府から帰らぬのは、明朝は法皇が延暦寺から還幸される法隆寺殿の守護に出かけたからだった。公家の朝臣は誰も彼も今は平家を見放された法皇の御機嫌を伺わねばならぬ。まして平家の娘を妻に迎えた朝臣はさらに心して法皇に仕えねばならなかった。
2021/01/29
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