~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
白 鳥 の 歌 (七)
昨日淀の六田むつだ河原に参集した平家一門、なかには頼盛や摂政夫妻のように途中から京に逃げ帰った者もあったが、遅れて馬で駆けつけた人もあった。
三位さんみ中将殿(維盛)が見えられたぞ」
馬上の士たちが声を上げてたのもしく迎えた。維盛はそれまで姿を現さず、宗盛は“もしや”と不安だった。それは ── 維盛は故重盛の長男、清盛の嫡孫に当たり祖父の家督を継承すべき位置ながら、いまや叔父の宗盛が平家の総帥そうすいである。そのことが維盛をしてこの際一族から脱落させるのではないかと一抹の不安を抱かせていた。だが維盛は息せき切って駿馬しゅんめに鞭あてて淀の川辺に現れたので、一同声をあげたのもことわりだった。
彼の遅れた原因は相思の美しい北の方や幼い子たちへのつきぬ別れを惜しんで時を費やしたのだった。彼はか弱い妻子を前途苦難の都落ちに伴うに忍びなかったのである。
その日川に集めたあまたの小舟には足弱の女性を、騎馬の士は陸路をと、時忠が宮中から運び出した三種の神器の唐櫃からびつを奉持して福原へ福原へと舟も馬も急いだ。はるかに男山八幡に手を合せ“ふたたびわれらを都に還させ給え”と祈念しつつ・・・・。
夜になって ── かつていちど新都とした福原へ入ると、かねて門脇殿の山荘を本拠として今まで福原を守った宿衛の武士たち、美濃小六郎らが松明を手に一門を出迎えた。
いっとき新都の建設に賑わったこの土地も、その後三年源平の戦いに明け暮れる六波羅からは訪れる者もなく荒涼とした感じだったが、いま久しぶりで一門を迎えてあちこちの館に灯がきらめいた。かつての雪見の御所には帝と建礼門院と時子のほか仕える女人たちが入り、あちこちに篝火は焚かれて、館という館には侍たちが一夜を宿り、庭にはあまたの軍馬が犇きいなないた。
建礼門院、二位局そして仕える女房たちも今朝からのあわただしい行程の疲れに精神的の動揺もあった。その夜は簡単な夕餉もそこそこに耳盥みみだらい一杯ずつのわずかな湯水に帝も女人たちも一日のほこりを払い、侍たちは山の清水に手足を洗って屋根の下ながら露営同様に身を横にした。
あけの朝、一族は法華堂境内の入道相国の墓まで山の坂をたどる。山荘の庭の秋草を束ねて墓前にささげ香の煙は松風になびく。一行中の能円法印その他の読経の声もしめやかに・・・墓じるしの遺愛の庭石はいずれは大きな石塔に代わるべきだが、これは源平の戦いが勝利に終わるのを待たねばならぬ。地下深く眠る清盛入道殿は西国に落ち行く一門のこの墓参を何と見るであろうかと、一同言葉もなく墓前にうなだれ打ち沈んだ。
やがて ── そこを離れてへだたる美濃六平太の墓に時子は歩み寄って、孫の小六郎が立てた石の卒塔婆そとばに声をかけた。
「美濃六、入道さまのお身のまわりのお世話頼みますぞえ、われらはしばらく西海へ落ちるゆえ」
お供の阿紗伎が持つ一束の秋草を美濃六のためにも時子は供えて、その祖父の墓前にうずくまる小六に言う。
「そなたは妻を連れて京の七条家へ参るがよい。典子は良人を失い幼き子を育てる頼りなき身、乳兄弟のそなたが源平の争乱終わるまでは傍近く仕えてくれぬか」
なにを仰せられます。この小六郎せっかく騎馬の武士にお取り立て戴きながら福原の宿衛に残されていまだ一度も出陣いたさぬが無念、これからこそ御一門に従い戦場にと心勇んで居りまするに」
「そなたの祖母の汐戸、母の安良井に一人残された小六郎を戦場の露と失わせるに忍びぬのじゃ・・・」
「その見事な討死こそ祖父美濃六がさぞ喜ぶと存ぜられます。われ一人逃れるなど卑怯のことがなんとして出来ましょうぞ」
そこに彼の仕える教盛が現れた。
「二位どの、このきおい立つ若武者に初陣の功を立てさせてはいかがですか、妻の菊女は身持ちのようすとか、それを京の七条家へ届けてやりましょう。戦いには連れて行けぬ山荘の老家僕に送らせます」
少年の時から場杓持の小姓を勤めた小六郎に教盛は眼をかけている。
「それでは門脇どのにお任せいたしましょう。菊女とやら必ず京へ無事に帰らせて下され」
そして、一行は山を降りた。明日は福原を船出するので兵庫の港に大きな御座船やその他の兵船と、馬や兵糧輸送船が用意されたてごったがえした。
2021/01/29
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