~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
京 と 鎌 倉 (二)
「それはたしかに、心ある者は陰ながら御推察いたすが当然。兄康信もこの弟もじつは鎌倉殿御幼少にてまだ堀川の源氏の館のお育ちの頃の乳母の一人を伯母といたせし深きゆかりにて、われらはおのずと源氏の家人けにんと思うて居りますが、それでもあまりに血気にはやられて義経殿が勝者の持つべき寛恕かんじょの美徳に欠けらるるは残念に存ぜられます。鎌倉殿は京に少年時代をお育ちにて都人とじんの繊細な感性をも知らるると思いますが、義経殿は鞍馬寺を脱出されての流浪のあとは奥州育ち、異腹の弟君なれば御生母の御身分の相違もあり・・・」
康清は兄の仕える鎌倉殿を全面的に信奉するが、その頼朝の生母が源義朝の正妻熱田大宮司藤原李範すえのり女であるに対し、義経の生母は九条院の雑仕女ぞうしめ常磐という身分素姓の大差と、そしてこのたびの平家の武将の首級への残酷な仕打ちからも康清は義経に心腹出来ぬものがあった。
この康清の同情を示す言葉に汐戸はせめてもの慰めを覚えて、
「いまさら、よしなき繰り言申し上げるも甲斐なきことには存じますれど、平家に仕えて久しきわたくしども、お育て申せし北の方御姉妹のおなげきを眼にして身も世もなき心地、かつてはその姫が漢文の師と仰ぎし広元さまがいま鎌倉殿の許にて政務にたずさわり給うと聞くにつけ、もし叶うことなら鎌倉までも旅を続けて、お袖にすがって平家戦死の将のために何とぞ御寛大な御処置をと乞い願いたいは山々ながら、海山はるかに遠い相州までは一日二日で参れぬ旅路・・・」
汐戸は頬をつたわる涙にむせぶ。
「その切なる御心中よく察せられます。この留守の家族もやがては一同鎌倉へ移り棲む日を待ちかねて居りますゆえ、われら広元どのに会うて、平家一族の武将の首級が京の都の大路を引きまわされたは源氏への印象の傷ともなろうと必ず伝えましょう。今後のいましめのためにも」
康清が誠意を込めて言うと、
「そのことをお願いにために北の方へは内密にて参上いたしました。それと申すも西八条にて絶えずお会いする折のあったわたくしがお立派な広元さまを忘れかねるゆえでございましょう。おはずかしい次第でございます。それではこれでおいとま・・・」
いまさら、この邸へ乗り込んで来た前後をわきまえぬ思い詰めた女の愚痴を恥じ入った汐戸は一刻も早くここから消えてしまいたかった。
それを優しく送って出る八重と雪のうしろから康清の力強い声を汐戸にかけた。
「汐戸どのとやら、平家の姫方へのお志まことに感服。けっして御案じあるな、たとえ御実家は平家といえど、いったん朝臣の公卿に輿入れされしからには、源平の勝敗にかかわりなき安全地帯、たとえ将来何事が起きようと鎌倉殿が他家へ嫁がれし平家の女人方をも敵の片われなどと、おかで思われましょう。ましてその側近に仕えるわが兄も広元どのも京の公卿の家系の出身にて平家をよくる者。一代の傑出の英雄入道大相国の姫方のため悪しかれと計ろう筈はござりませぬ。この旨かならずその北の方たちへお伝え下されよ! お乳母どの」
康清の誠意溢れるこの言葉を汐戸は暗中にただ一筋の光明を見た思いで、もう二度と訪れるとは思えぬ、烏丸奥の三善家の門を出ると、外はまだ春には早いややさむの夕暮れであった。
2021/02/05
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