~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
渦 紋 (一)
その二月に一谷の戦いのあった寿永三年(1184)は四月十六に“元暦元年”と改元された。
七条家の典子は平家の敗戦、一族の血を引く誰彼の首が獄門にかけられた打撃のあと、重衡は生け捕り、やがて鎌倉へ連れて行かれたと知った。
一谷から逃れた平家船団が目的地の屋島に着く前夜小宰相がみごもる身で戦死の通盛みちもりを慕って投身し、時子が「せめて身二つになられてからであったら」と歎いたという噂が京に伝わったのを聞いた。
やがてまた伝わったのは甥の維盛が八島の陣から脱出して阿波から小舟で紀伊の和歌浦に渡り山を越えて京の妻子に会いたいと念じながら重盛が生け捕りの恥を大路に曝されたと聞いて痛恨身に沁みて高野さんに入り出家してまもなく熊野の那智沖で入水じゅすいして果てたという情報だった。
この美男の甥が少年時代に法皇五十の賀に“青海波”を舞って物語の源氏の君の再来かと感歎されたのを思い出して叔母の典子姉妹は涙にむせんだ。こうして典子が聞く噂はどれもこれも胸も塞がることばかりだった。
── この頃の日である。北廂きたびさしの居室にひたすら閉じ籠る典子のもとに安良井があわただしくかけつけて、
「ただいま、勘解由小路かげゆこうじと冷泉万里小路までのこうじの殿御同伴にて御入来ごじゅらい遊ばされました」
ただごとならぬ顔をして告げた。
「冷泉北の方と典子は互に睦まじくゆききするが、その良人たちが二人連れ立ってここを訪れるとは珍しい。何の用か合点もゆかなかった。
「おおかた七条院(殖子)へ伺候されたのであろうよ」
と、典子は冷淡に言った。なぜなら殖子を母としてすでに践祚せんそされた尊成たかひら親王の御即位式が近く行われると聞いていたので、朝臣のあに二人は国母七条院へ御機嫌伺いにじょさいなく、と想像された。
「いえ、いえ、典さまにぜひお眼にかかりたいと義兄君方の仰せでございます。こちらへお通しいたさねば・・・」
安良井は典子の姉君の良人を迎えておろそかには扱えぬときりきり舞いをする。
やがて北廂の客間に権大納言花山院兼雅と冷泉院隆房中将がものものしく威儀を正して着座した。
「御用あらばこちらよりお伺い致しますにわざわざお越しで恐れ入ります」
典子の口上に義兄たちは口を揃えて、
「いや、いや、折り入ってお願いあるからにはわれらこちらへ参上いたすが当然」
「このような、もはや良人もあの世に、遺児の隆清ひとりを育てるほかは世捨て人同様の女の許に御立派な義兄さまお二方お揃いにて折り入ってお願いがなどとは、とんと合点がまいりませぬ」
「いや、貴女ならでは叶わぬこともありてのお願い・・・いま平家一門は屋島に帝も門院も二位局(時子)もとどまられます。目下は源平戦も休戦状態、と申すのは源氏軍も八島まで戦線がのびては食料輸送もたやすからず、まして内海の制海権もいまだ平家の掌中にあり、うっかり源氏も手出しはなりませぬ。この休戦状態こそ平和を講ずるよき機会、もしここに平和成らば天下安穏あんのん国土おだやかに諸人歓喜することが出来ましょう」
「それはわたきしども姉妹いずれも願う事でございますが、わたくしどもの力の及ぶところではございません。そのような天下の大きなお計らいは院(法皇)の思召しによらねばなりますまい」
との典子の言葉に義兄たちも大きくうなずいた。
「もとより院も、われら平家の縁者えんじゃも願うところにて、本三位中将(重衡)一谷にてたとえ生け捕りとは申せ幸い生命つつがなく入京されしこそよき折と、これも平家の縁者摂政(近衛基通)始め朝臣一同協議の上、院の思召しに従い当時土肥実平の許に拘禁の本三位中将から八島の前内大臣(宗盛)に懇篤なる長文の書翰を、院宣と供に使者に届けさせました。その内容は ── 本三位中将かつて奈良にはびこる僧兵退治のための東大寺その他の寺院を焼き払われしめたその怨恨にて奈良の僧兵どもが本三位中将を引き渡すよう鎌倉殿に申入れあれど、もし八島より三種の神器を朝廷に返還され、先帝(安徳)と門院京都に還御あらば、その際には院より鎌倉殿に平家との和解を申しつかわさるべしと ── そうなる上はみすみす重衡卿を奈良に渡さるる事もなく、平家一門もその兵団も源氏とこれ以上血戦を交わすこともなし、とわれら朝臣大いなる望みを托し、宗盛卿の返書を待ちましたに、院とわれらの期待に反して拒絶の返書とはことのほかで・・・」
「兄者はなんよ申して拒まれましたか?」
典子は息を詰めて問う。
「宗盛卿の拒絶の理由は、院が平家へのお仕打ちのつれなかりし事。平家一門帝を戴き西海にあるうちに新帝を立てられし事。その他不服不満の数々を述べられ、この問題解決するまでは神器の奉還はもとより、帝も女院の還御もなり難し。いわんや重衡は兄弟の情においては忍びざれど、一谷の戦場にて一門の血族将兵父を喪い子を喪って屍となり首を都門に曝されしいま、わが末弟一人の生命を助けんために敵と妥協するは一谷のあまたの戦没者に対してなしがたしときっぱりと拒まれたので、院もわれら朝臣も落胆のいたりにて・・・」
この長談義を二人の義兄が代り合って説きたてるのを典子はうつむいて聞き入ったが、熱い涙が絶えずその頬を流れ落ちる。
2021/02/06
Next