~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
壇 ノ 浦 暮 色 (三)
鎌倉に義経からの飛脚が、“去二十四日長門国赤間関海上にて源氏八百四十余艘の兵船を浮かべ、平氏もまた五百四雙を漕ぎ向けて海戦す。中下刻逆党平家滅亡す”と報じたのは四月十一日であった。
その日、頼朝は亡父義朝の廟所南御堂の立柱式に臨んでいた。昨秋設置の公文所くもんじょ(政府庁)の別当(長官)大江広元、問注所もんちゅうじょ(裁判所)執事の三善康信その他の重臣も列席したところへこの一大勝報がもたらされた。側近によってその報告書が頼朝の前で朗々と読み上がられた。
一、 先帝は海底に没し給う、
一、 海に入水じゅすいの人々は二位局、門脇中納言教盛、新中納言知盛、宰相経盛、新三位中将資盛、小松少将有盛、左馬頭行盛。
一、 若宮守貞親王、建礼門院は無事に取り奉る。
一、 生虜の人々は、前内大臣宗盛、子息右衛門督清宗、平大納言時忠、前内蔵頭さきのくらのかみ信基(負傷)、左中将時実。
此のほか、美濃前司則清、民部大夫成良、源大夫李貞等数名。
女房は、そつ典侍、大納言典侍、按察あぜち局。ほか侍女。
僧は僧都そうず全真、法印能円(二位局兄)
一、 神器は神璽しんじ、神鏡御坐おわしますといえども宝剣は紛失、これさがし奉る。
以上読み上げられた報告の巻物を手に受取りこれを両手に高く捧げて鶴岡八幡宮の方角を向いて礼拝、何か言葉を発しようとしても声が出なかった。
この瞬間から源頼朝は全国支配の権威者となった。
大江広元はこの義経の報告書を頼朝に侍して聞き入りつつ、京の西八条の館に姫の家庭教師たりし若き日の頃に接した清盛を思い、その妻時子を思い、あの頃誰が平家の滅びの日が来ると考えたであろうか・・・と、感慨無量であった。頼朝は勝報の巻物をささげて鶴岡に向い礼拝したが、広元の胸中も源氏再興にわが生涯を賭けたその“賭”の勝利をいまたしかめたと信じる。けれどもその半面にはかつての入道相国一族の冥福を祈る彼としては珍しい感傷に浸った。しかし瞬間の後には彼は新興の鎌倉幕府公文所別当の冷厳、沈着の態度に戻り、頼朝に供奉ぐぶして営中に帰った。
頼朝は何事につけ事あるごとに広元を顧問として胸襟きょうきんを開いて語り談じるならいだった。
「九郎(義経)はさてもいくさ上手の強引ごういんな者よの」
そういう頼朝の言葉は単に感歎の言葉ではなかった。異腹の弟の猛将ぶりにちらと不安な怯えが頼朝の心底に潜在するのを早くも広元は推察した。頼朝と彼との精神の交流はすでに君臣ながら打てば響く一心同体の如き連帯感に結ばれてあった。
「去月二十四日の源平海戦を最後として、もはや源家にとっては武を去り文に就くべき時機到来と存ぜられます」
この広元の言葉にわが意を得たと頼朝は大きくうなずいて、
「まさにその通りじゃ。もはや弓矢で天下は治められぬ。これから鎌倉幕府は政治力によって天下を治めるのみよの」
心地よげに言い放つと、この両人の間には言外に強く通い合うものがあった。
2021/02/09
Next