~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
建 礼 門 院 (三)
その時、建礼門院から初めて深い感情のこもった言葉がもらされた。
「・・・都落ちより年を経ては船中のみの明け暮れの日が多く、あちらこちらにと海上を漂うて、ただ潮風の匂いのなかにありしに、いま絶えて久しき伽藍の匂いよ」
と、涙ぐまれて衣の袖を顔に押し当てられる。
「その海上のさすらいの月日からようやく都へお戻り遊ばされたというのに、このお棲居はあまりお気に染まぬことに存じます」
典子はさきから、朝臣が出迎えたというのに、どうして此処へ案内したかと腹が立っている。
「いえ、いえ、西海に追い詰められての船路の暮しは飲む水もかても乏しく、いつ敵の矢が飛び来るかと怯えた日々にくらぶれば、この破れ家ももう敵が攻めては来ぬも心安らかに思われます」
ろこの女院の言葉に二人の姉妹はいまさらに胸を突かれた。
汐戸と安良井は、さっきの耳の遠い老女官を相手に、かけひの水だけは豊かな型ばかりの厨房に湯をわかかし、持参したの塗桶から取り出した七条家秘蔵の播磨の葉茶をせんじて女院に献げると、茶碗を押し戴くようにされて、
「船上ではこのような香ばしい飲物の出来ようはずもなく、四方を満々と海の水に囲まれながらその汐水は飲めず、真水まみず一滴さえどのように貴かったことか、・・・いま汐戸と安良井を見るにつけても、美濃小六郎の誠を尽くしてわれらに仕えしことの忘られませぬ」
しみじみと言われると、汐戸も安良井もはっと思わず膝をにじり進ませて声おののかせた。
「あの小六郎がなんぞお役に立ったでございましょうか」
と、小六郎の祖母との問いには、阿波内侍が仔細を告げる ── 屋島でにわかに背後から源氏軍の攻撃を受けて海上に逃れる平氏水軍を小舟で追って、山清水を満たした大瓢おおふくべの一つを「帝の御飲料ぞ」と兵船に托した刹那に陸上からの矢を受けて残る瓢と共に惜しくも海中に没した云々と・・・述べると、女院も言葉を添えられる。
「今は亡き母君もその瓢を撫でられて『小六郎の志忘れぬ』と仰せられました。その後の海上にても帝は日毎にその瓢の清らかな山清水を乳を吸われるように喜ばれました」
汐戸と安良井は泣くももらさじと打ち伏すのだった。
「乳兄弟の小六郎よくぞみごとな最期でございました。いまは千尋ちひろの海底で残る一つの瓢を持って帝と母君のおそばに仕えて居りましょう」
典子は胸をゆすぶられる感動の声をあげた。その典子の声に誘い出されたように建礼門院が口を開かれた。
「壇ノ浦にては、いずれも生け捕りの辱しめは受けじと、母君は帝を抱き参らせて重き硯石をお袖に海に沈まられしに、この身は不覚にもいったん海中に入りながら敵兵の熊手に髪をからめ取られておめおめと生き残るはずかしさ、そのいまわしき黒髪を断ち切り、墨染の衣をまとうた今、初めて少しは心も落ち着きました・・・同じく生け捕られし兄上(宗盛)とてもいかにお心苦しくおわそう。この身にはそれがようわかります。兄上は水練のお達者なりしゆえに入水なされても沈まれざりしが災・・・新中納言(知盛)こそはあっぱれ、船中の見苦しきものみな海に棄てられてのち、二りょうのを身につけて炊煙の中に消えられたとか・・・」
平家軍指揮の大将として雄々しく美しき兄の最期が眼に見えるようで、佑子も典子も涙こぼるる思いである。
「この一族の滅びをよそに、現世に生き残されしこの身は仏門に入り帝と母君、一族の冥福の回向えこうに生きるが、ただ一筋の道となりました」
この建礼門院の声をしいん・・・と聞き入り言葉もない。近くの松林から松蝉の鳴くが人の世の悲しさを奏でるように聞こえる。
「壇ノ浦より肌身離さずただ一つ大切に持ち帰りし帝の召されし小直衣このうし、先日受戒の師への御布施に、砂金一粒持たぬ身のいたしようもなく、かつは帝の御菩提ぼだいのため長楽寺本堂のはた(仏前の飾り)にもと、そのお遺品かたみを差し出しましたゆえ、いまは帝のお形見はただ日夜忘れぬその面影のみとなりました
佑子も典子も汐戸たちも、まことに聞くも涙、語るも涙のこの場合身動きも出来ぬ切ない思いだったが、いつまでも愁歎のみではならぬと佑子は声は励まして言った。
「もはや源平の戦いも終わり、民も心安らかに田畑を耕し町の商舗は賑わい世は安穏におさまりました上は、女院さまもお心静かに先帝と平家一門への御回向にお勤め下さいませ。及ばずながらわたくしども姉妹なんなりとお役に立つことを致したく存じます」
典子もそれに従って言葉を添える。
「女院さま、お心悩ませ給うことなくみ仏の大慈大悲にお縋り遊ばしませ」
── いつしか刻が移って、ひとまず今日は心を残して帰らねばならぬ姉妹であった。
2021/02/13
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