~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
再 開 (二)
「── それにしても建礼門院はその御幸の院をお迎えなされてどのようなお心持ちであったやら・・・この典子が女院の立場であるなら、けっしてお眼にかからずお帰り願います」
「建礼門院は素直なお方で典さまのように幾つになってもやんちゃなお方とはちがいますゆえ、法皇さまが御愛子ごあいし高倉帝の后たりし平家の娘をお忘れなく大原まで御幸を仰いで、涙も新たに御挨拶なされたことでしょう」
「その折のおみやげに寺領の田畑でも賜りましたか?」
「さあ、そのような事は聞きませぬ」
良人が供奉の具武官なら、その事あれば佑子は知るはずである。
「供奉の公卿は義兄上方のほかにも数多く参られたとか、その人眼に女院の御出家のお姿を曝すことは、あれほどに世をおいといなされる女院にはおいたわしい・・・」
「さりとて法皇さまがお供なしで大原まで御幸はなりますまい。その日のお供にはあの土御門つちみかど通親みちちかも加わって居られましたそうな」
「えっ、あの節操のない、いやないたな男が! かつて花山院家へ姫を北の方になさりながら、西八条からよしさまが花山院家へ嫁がれると、それを真似て全盛の平家と縁を結びたく、北の方を離婚されて門脇かどわき叔父君(教盛)の娘をめとり、平家が西走するやたちまち身をひるがえして能円伯父上(時子の兄)の室なりし新帝の御乳人おんめのとはん子に言い寄りて再婚、それを手がかりに院の寵女丹後局に近付き、まんまと院の近臣になるとは ── このような鉄面皮な男は見たことがありませぬ・・・」
典子は院の近臣にそうした者が居ることがつまり法皇の性格の不潔癖の気がする。
「そうした処世に長けた通親卿とはことかわり、能円伯父上は備中に流され、このほど時忠伯父上もとうとう配所の能登へお立ちになられました。もうこの京の都に残らるる池殿の叔父上(頼盛)ただお一人。都落ちから引き返されて、位階も所領も安堵あんど(保留)されたというにそれゆえかえってお心咎められてか御気色みけしきすぐれずお引き籠りで昨年末には位階も辞退されましたそうな・・・本来なら姪のわたくしども御見舞いに伺うはずなれど・・・」
「その気になれませぬ、平家一族を裏切ったお方を典子は叔父君とは思えませぬ」
敢然と典子は割り切っている。
「典さま、その池殿の叔父さまお一人は別として、平家の血族は家臣と共に団結して壇ノ浦に滅ぶ日まで一糸乱れず心を合せて手をつないで居りました。これも亡き父君母君の御人徳のおかげと思います。たとえ滅亡するともその一門の団結の美しさは後の世まで語り伝えられましょう」
「それに比べれば源家一族の浅ましさ、平家を滅ぼした九郎判官も兄頼朝にうとまれ、京に帰っても事成らず、大物だいもつ(尼崎)から船出いたせば大暴風雨のため難船、主従散りじりとか、これも海上に平家の怨霊現れたりと噂にのぼりました。その後判官の行方知れずととか申せ、やがては必ず頼朝の成敗にあうことでしょういが・・・その判官の愛妾のしずかと申す白拍子しらびょうしが捕らえられて鎌倉に連れて行かれ八幡宮の廻廊で泣く泣く良人を慕う舞をしたのが頼朝のとがめを受けると、御台所がそれをなだめられて納まりましとか京まで伝わって居ります」
「源家の御台所のそうしたお心づかいは、わが母君にもどこか似通うと思われますの」
佑子は敵将の妻ながらその美点を認めずにはいられぬ。典子もそれは反対出来ぬ。
「その鎌倉にいまたいそうな高職につかれて頼朝将軍の片腕と言われるのが、あの西八条の対屋に学問の師として通われた大江広元どのとはほんように驚かされます。あの若い学生がくしょうがやがて平家に仇なす源家の政治家になられようとは・・・世の中はみな夢のまた夢・・・」
典子の複雑な意味をこめた吐息に、佑子はうつむいて言葉もない。
2021/02/18
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