~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
再 開 (三)
文治二年の七月大江広元は鎌倉幕府の使者として上洛、幼い新帝(後鳥羽天皇)の天機奉伺、法皇御所に伺候、朝臣たちとも面談して、しばらく滞在して帰り、頼朝居館にその報告のためにおもむいて頼朝と長時間の対談を終わって退出する時に、御台所政子にも京都より帰鎌の挨拶を言上に目通りを願った。彼はこの頼朝の妻、伊豆の豪族北条時政の娘が、当時流人の海のものとも山のものとも未来は知れぬ侘しい境遇の頼朝と恋を語って父の反対を押し切って頼朝の許に走り、長女大姫を生んだ並みならぬ個性の強靭な女性に日頃たのもしさを覚えて尊敬している。
政子は広元の顔を見ると、彼の京都から帰るのを待ちかねていたかのように語りかける。
「京都に参られた留守の間に御所さま(頼朝)が、あの静にあまりに情容赦もなき事をなされたのを御存じあるまいが」
広元は帰ったばかりで何も知らない。義経の愛妾静がこの春鎌倉に召し出されて鶴岡八幡宮の廻廊で舞いながら歌ったのが義経を慕う歌とて頼朝が気色を損じた時に政子が言葉を尽くしてとりなしたとか ── は噂に聞いていたが、政務に追われる広元は義経の愛妾の問題なぞ歯牙にもかけなかった。その女も舞を所望されるなど頼朝夫妻も御酔狂よと苦笑しただけだった。
「あの静と申す白拍子を今までながらく鎌倉にお止めあるは、いかにうつとうしき事ではござりませぬか」
広元はとかくその女が鎌倉で問題を起すのに眉をひそめる。
「それがのう。静は身重であったので産月うみづきまで止めて置かねばならなかったのじゃ、それが月満ちて男の子を生んでしもうた。もし女の児なら何の事もなかったに、男子では後日のさまたげと御所さまの仰せにて由比ヶ浜の波に流してしもうた①1── のうあまりの御殺生せっしょう・・・わが子幾人いくたりか持つこの政子としてはいかにも寝覚めが悪うてならぬ」
伊豆育ちの朴訥ぼくとつな口調で政子は歎く。
御台みだいさまのお慈悲深き御憂悶ごもっともなれど、すでにその事おわりしあとは、いかに御案じあるも返らぬ事、静かに厚き手当を尽くして京へ送り帰さるるが何よりの始末と存ぜられまする。とかく天下を争う男の世界ではかかる殺生も武士の手段、由比ヶ浜の波に流されし不運の児の父九郎判官殿も平家討伐にては数知れぬ殺生をなされた。平家の公達きんだちの首は数知れず判官殿の手に挙げられたではございませぬか」
「おお、まことにのう・・・平家の公達のみか、壇ノ浦では安徳天皇もろとも二位局(時子)も御入水とは無残な。幸い建礼門院はお命つつがなく海より救いまいらせたと知ってこの政子も胸撫でおろしましたが、女院さまはその後御出家とか・・・」
「洛外大原の寂光院にて安徳天皇と一門の冥福を祈り居られますと聞いてきました」
「平家には建礼門院のほかに美しき幾人かの御姉妹がおわした由だが、その女人方はその後も無事おすごしであろうか、広元どの」
政子に問われて広元は苦渋くじゅうを湛えたおもてを伏せたが・・・、
「いずれも公卿の北の方なれば平家滅亡にかかわるなく過ごさるるはず・・・建礼門院御出家後も御姉妹がお力添えなされるよし」
「なんとこれは、御国母なりし方が御姉妹のなさけに縋りてお暮しとはこの政子聞き棄てにはなりませぬ。広元どの、これはいかがいたしたものであろうか」
「もし御台所より寂光院に多少の寺領を御寄進あらば女院もお心やすらかに御生涯を送らるるでございましょう」
平家一族の全国にわたる荘園はみな源氏の手に移った今、その一部を女院御料にくべしと広元は案ずる。
「おおそれはよき事、広元どの、御所にも申し上げてその旨よしなにお計らい下されよ。それは女院のためにも壇ノ浦にて失せられし二位局への御冥福にもこの政子のいたさねばならぬことよの」
広元は御台所の前に謹んで頭をさげた。
2021/02/19
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