~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
白 い 雉 (2-02)
街の男女は、この華やかな行事が自分たひにとって、何を意味するか、よくわからなかった。ただ新しい時代が、いまようやく一つの形をとって来ようとしていることだけが感じられた。巨勢大臣が奏上したという新羅を討つ方策は、どこからともなく巷々ちまたちまたに流れていたが、なるほど異国を討つことも絵空事えそらごとではあるまいと思われた。
やがてこの難波の都には自分たちの想像も出来ぬような豪壮な宮殿が建てられ、自分たちが想像も出来ぬような兵力と財力が、し必要とあれば自在に発動されてゆくに違いないと思われた。軍船が難波津から筑紫の海まで次々に断たれることなく並び浮かぶことも、決して根も葉もない話ではないであろう。
やがて定刻になると、新宮の台地では行幸を迎えた。灯火と灯火の間を、何集団かになって、何百人かの人たちが歩み進んだ。所々に女たちの集団も配されてあった。
どの集団も華やかだが、ひっそりとしたものを持っていた。そうした人々の流れが台地を突っ切って、ゆるい斜面を味経宮の方へ流れて行ってしまうと、あとには灯火だけが燃えている異様な空虚な夜が置かれた。そしてかなりの時間が経って、夜がけて行くと、また人々の群は味経宮の方から逆に台地へと流れ出して来た。こんどは人声も聞こえ、跫音あしおとも聞こえた。何人かずつの小集団は灯火と灯火の間をいずこへともなく歩み去って行った。が、決してその集団はあとを断たなかった。一組が去ると、また一組が現れた。この頃になると、灯火の中には消えるものが出て来た。消えた灯火はしのままにされていたので、やみは少しずつその領域をひろめて行った。
大海人皇子おおあまのみこは、さっきから台地の上を歩いていた。正しい言い方をすれば歩き廻っていたのである。けるわけにも行かなかったので、大股おおまたに足早に歩いていたのであるが、時々、大海は足を停めた。そして視線をあちこちに廻して、自分の求めるものの所在をつきとめねばならなかった。すると、自分が求めている者は必ずどこかの光の中に、すっくりと姿を現した。遠い場所もあれば、案外近い場所の時もあった。相手は一夜明けて漸く十八歳になるはずであったが、中年の女の持つ落ち着きを持っていた。
あそこに居たのか! 大海人はその方へ歩いて行く。相手はすぐ闇の中に姿をかくす。始末が悪いのは、相手が闇の中に姿を匿すと、次にどこへ姿を現すか見当が付かないことであった。闇ばかりを縫ってどこかへ行ってしまい、そして思いがけない灯火のかたわらに姿を現すのである。大海人はその方へ歩いて行く。
大海人は自分が相手の女からからかわれているような気持になっていた。からかっているのではなくては、そのような消え方や現れ方が出来るものではなかった。併し、小憎らしいことに毫末ごうまつもからかっているような態度は示していないのである。灯火の傍に立つ時の女の姿は、いかにもそこまでぞろぞろ歩きして、漸く明るいところに出たので、ひと息入れる、といったような格好かっこうである。時には街を見降ろしたり、遠くに月光で光って見えている海でもながめ渡しているように見える。月を仰いでいる時もある。
大海人が息を詰めるようにして立っていると、女もいつまでも立っている。大海人が一歩踏み出すと、その気配を敏感に感じでもするように、女もまた足を踏み出す。すっぽりと闇の中にはいる。耳を澄ましても女の跫音は聞こえない。
折角いい機会なのに、とらえることが出来にとは残念だな、と大海人皇子は思った。
確かにまたとない機会であった。大海人皇子が相手の女を初めて見たのは、白い雉が宮殿の中庭で皇族たちだけに披露ひろうされた日であった。間人皇后はしひとのきさきに侍してきた数人の侍女たちの中に、その女の姿を見たのである。それから丸二年経っていた。天皇に仕える女官の一人なので、めったに顔を合せることも出来ないが、それにしても、声一つかけられないとは奇妙なことであった。人を介して、相手の心を揺すぶってもみたが、反応というものは一切なかった。この二年間に、大海人皇子が相手について知り得たことと言えば、相手の名前だけであった。額田女王ぬかたのおおきみ
いや、もう一つだけある。女官と言っても、額田は神事に奉仕することを任務としている女官であって、家才に恵まれ、時には天皇の命によって、天皇に代って歌を詠むこともあるということであった。
大海人皇子は、一夜明ければ二十一歳である。中大兄皇子の弟として、押しも押されもせぬ新政首脳陣の一人である。若し自分が望むなら、大抵のことはさして支障なくかなえられる筈であった。それなのに、どういうものか、額田女王という女一人を、どうすることも出来なかった。それと言うのも、相手に得体の知れぬところがあったからである。神事に奉仕するというようなところも大海人には苦手であったし、みことのりって、天皇の心の内部に入り込んで、天皇に代って歌を作るというようなところも、また苦手であった。
2021/02/26
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