~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
有 間 皇 子 (1-01)
幸徳天皇が崩じると、その姉であり、また中大兄皇子なかのおおえのみこ大海人皇子おおあまのみこの生母である皇祖母尊すめみおやのみことが即位した。この女帝は言うまでもなく間の皇極天皇であり、その短い治世は大化の政変にって打ち切られたが、こんどはわが子中大兄皇子に推されて重祚ちょうそするに到ったのである。斉明天皇さいめいてんのうがこれである。
世人は幸徳天皇の歿後ぼつごは、勿論もちろん皇太子中大兄が位に即くものと思っていたが、意外にも皇祖母尊が重祚し、中大兄皇子は依然として皇太子の地位に留まることになったのである。中大兄皇子は大化の政変の時も、世人の思惑に反して幸徳天皇をてたが、今度もまた同じように母帝を樹てて、自分が政治の表面に出ることを避けたのである。
大化の政変の場合と、今度では、中大兄のとった態度は同じであったが、世間の見方には多少の違いがあった。大化の政変の時は、政変の実力者としての自分を全面に押し出さないことで、一般に好感をもって見られたのであったが、今度の場合はそこに多少不自然なものが感じられた。母帝は既に六十歳を超えており、中大兄は三十歳、まさに壮年といえる年齢に達していた。中大兄が即位をはばからねばならないいかなる理由も考えられなかった。
── これからの世の中は大変なことになって行くらしい。中大兄皇子が即位しないのは、皇太子のままで、おれたちが考えられぬようなことを自由にやろうとしているからだ。
── いや、皇太子のままでやろうとしているのではなく、皇太子のままでなくてはやれぬことをたくらんでいるんだ。
そんなうわさちまたのあちこちでささやかれた。しかし、中大兄が何をそうとしているかということになると、誰一人見当は付かなかった。ただ結果として租が重くなり、割り当てがきつくなり、民の生活はますます苦しくなる、そういった推量が行われているだけのことであった。また中には、
── 中大兄が即位すると、あと誰を皇太子にえるかという問題がある。中大兄は自分の御子を皇太子にしたいが、御子はまだその年齢に達していない。
そんなことを言う者もあれば、
── 中大兄皇子が皇太子に留まっていれば、まあ、世の中は曲がりなりにも治まって行くが、いったん即位したとなると、その日のうちに兵を挙げる者があるということだ。
と、物騒なことを言う者もあった。
問題の中心人物である中大兄皇子にしても、また皇子のただ一人の最もよき相談相手である鎌足かまたりにしても、必ずしもはっきりした形で、事態に対する認識を持っているわけではなかった。ただ二人は、二人以外の誰もが持たぬ予感を、全く同じ強さで持っていたのである。幸徳天皇崩御の直後、皇位継承者を決めなければならぬ時、二人は二人だけの時間を持った。
「皇祖母尊の重祚は?」
いきなり中大兄は口に出した。
「一番御心配のないことかと存じます」
少しの躊躇ちゅうちょもなく鎌足は答えた。
「そうしておけば ──」
「いかにも」
「そうしないより ──」
「左様」
例によって二人だけにわかる会話が交わされてから、
「政変十年、いよいよこれから戦死に対して、民は勿論のこと、各地の豪族、民俗の間にも、不平不満の声は高まって参りましょう。そうした中で、今度は都造りも始めなければなりません。宮殿の増築のこともあります。東北の蕃族ばんぞくも今のままで放置しておくわけには参りませぬ。半島の問題にも備えなければならぬかと存じます。
また眼を御身の周囲にお向けになれば、必ずしも内輪に問題がないわけではございませぬ。政変後一番の多事多難な時期は、これから始まると考えます。十年、いや二十年、苦しい時期は続きましょう。その間、母帝に御健在であっていただくことでございます」
「二十年か、これから二十年 ──、老いた皇太子になるであろう」
中大兄皇子は笑って言った。
「そうなれば、そのいうな事が出来れば、祝着しゅうちゃく至極でございます。皇太子のままお老いになってよろしゅうございましょう。その代わり、そのころは、国は現在とは違ったものになっております。臣には、二十年後のこの国の様がはっきりと眼に浮かんで見えます。皇室は国の柱として揺るぎなきものになっており、豪族も、氏族も、それぞれ分に応じて坐るべきところに坐って居ります。一木一草といえども国のものでないものはありません。巷には一片の不平を口に唱える者も居りません。国は富み栄え、民は日々の生業なりわいを愉しんで居ります。都は、大唐のそれのように三市六街、整然たる街造りができ、宮城のいらかは何里もの彼方かなたから望めましょう。兵力は充実し、辺境の蕃族はことごとく恩徳に化し、異国からの朝貢の使節の群れは、日ごと難波津なにわづの港に上がり、大和に向かって参ります。そうなってから御位にけばよろしゅうございましょう」
鎌足は言った。実際に、鎌足はこの時二十年後のこの国の力や都の繁栄の様をまぶたに思い描いていたのである。こうした大きな夢に取りかれている時の鎌足は、いつもよりむしろ冷静に見え、口から出す言葉も静かであり、その眼も冷たかった。
2021/03/27
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