~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
有 間 皇 子 (1-02)
額田女王ぬかたのおおきみは斉明天皇の第一年を難波津の宮で過し、第二年の初めに飛鳥あすかの都に移って、新帝のおそばに侍した。額田と大海人皇子のことは、絶えず人の噂になっていたが、併し、噂は噂として、それが真実であるかどうかということになると、依然として誰にも判らなかった。間違いのない歴とした事実であると、誰も口では言ったが、と言ってそれのあかしとなる事実をつきとめているわけではなかった。
飛鳥の宮廷において、額田女王が心かれた人物があるとすれば、幸徳天皇の御子である有間皇子ありまのみこであった。皇子は父帝崩御のあと、父帝と同じような孤独な立場に置かれていた。父帝を失った時は十五歳であり、難波津から飛鳥へ移った時は十七歳であった。額田は先帝に仕えた関係から、有間皇子のもと伺候しこうする機会がしばしば々あり、聡明怜悧そうめいれいり な若い皇子の人となりに接することが多かった。この皇子のことを考えると、額田は考えただけで、心が静まり清まる思いがした。磨き砥がれた玉を見入っている時の思いに似ていた。異性に惹かれる思いとは違っていたが、併し、それとは全く別個のものとも言いかねた。鏡のようにみが き研がれたぎょくを見入っている時の思いに似ていた。異性に惹かれる思いとは違っていたが、併し、それとは全く別個のものとも言いかねた。鏡のように研かれた玉の魅力がそれを持つ冷たいはだの手触りにあるとするなら、額田の若い皇子への惹かれ方にも、どこかそのような官能的なものがあるかも知れなかった。
額田は、有間皇子と言葉を交す度に、
「御歌がおできになりましたら、見せて戴きとうございます」
と言った。
「いや、まだ見てもらうようなものは出来ない。何も見せ惜しみをしているのではないが、本当に出来ないのだ。少しでも形の整ったものが作れたら、その時は見て貰いたい」
有間皇子は言った。
「難波津の都では、時折、御歌を見せて戴いて楽しゅうございましたのに」
「あの頃は、まだ歌というものを作り始めたばかりの頃だったから」
「お作り初めの頃でも、あのように御立派なものがお出来になりましたのに」
「それに、あの頃は父の帝のおくなりになった悲しみが深い頃だった」
いつも二人の間には、このような会話が交わされた。額田はお世辞でなく、若い皇子の作る歌を見たかった。毎日のように歌を作っており、それをどこかに書き記していることは明らかだったが、有間皇子はどういうものか決してそれを額田に見せようとはしなかった。一度だけ、有間皇子は、自分の歌を額田に見せない理由のようなことを口走ったことがある。
「自分は悲しみが深い時でないといい歌が生れないような気がする。人にはそれぞれ分というものがある。よろこびの歌を作る人もある。さびしさの歌を作れる人もある。自分は悲しみの歌しか作れないような気がする」
十七歳の少年の言葉ではなかった。
「それなら、わたくしなどは、いかなる歌を作るのでございましょう」
額田が言うと、
「額田は普通の歌人とは違う。神の御心を、代わってうたう歌人だ。そうしたことの出来る特別な人だ。自分には神の声も聞こえないし、神の心も判らない。地上の人間として、自分ひとりの心を詠うほか仕方がない」
有間皇子は言った。額田は有間皇子との会話において、この時ほど暗然たる思いを持ったことはなかった。有間皇子が、ひたすらよき歌を作るために、悲運の到来を待っているかのような気がしたからである。
2021/03/28
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