~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
有 間 皇 子 (1-04)
斉明天皇の二年の秋から、一時中止になっていた都造りの工事は再び始められた。
前年には小墾田を新しい宮殿の候補地にしていたが、今度はそこをめて、新たに飛鳥あすかの岡本の地を選んだ。ここはかつ舒明じょめい天皇の宮殿が建てられていた所で、その宮殿は飛鳥岡本宮あすかのおかもとのみやと呼ばれていたので、今度の宮殿はそれと区別するためにのちの飛鳥岡本宮とでも名付けられるべきものであった。
この飛鳥岡本宮の造営工事はひどく大がかりなものであった。宮殿をめぐって見渡す限りの敷地が予定され、田身嶺たむのみね(多武峰)の頂にかけて延々とかきめぐらされ、山の背には二つの高楼も造られることになった。この高楼はかたわらに二本のつきの大樹があるところから両槻宮ふたつきのみやと名付けられた。
こうした宮殿造営の工事と同時に、大々的な都造りの工事も併せ行われた。飛鳥の岡本の地一帯は、たちまちにして戦場のような騒ぎになった。香山かぐやまの西から石上山いそのかみのやまふもとにかけた水渠すいきょが掘られ、そこに二百せきの船が浮かんだ。船はいずれも石上山から掘り出す石を積んで、それを水渠の末端である宮殿の東側の地に運んだ。船に石を積み込むところにも、何百、何千という労務者がひしめいていたが、鮒から石を降ろす場所も、そてに劣らずたいへんだった。ここにも何百、何千の労務者たちの姿が見られ、船から降ろした石を宮殿の東の山に運び、そこに石垣を築いていた。
こうした大工事に対して、巷では非難の声があがった。港計りでなく、朝臣の間にも兎角とかくの批判が行われた。毎日のように労務者たちがたかっている水渠は、かげでは“狂心たわぶれごころみぞ”と呼ばれた。そして、狂心の渠を造るために三万の人が、狂心の石の垣を造るために七万の人が集められたとうわさされた。
── 宮殿を造る樹木は不思議なことに、みんなただれ、山の頂はそうしたただれた樹木で埋まっているそうだ。
とか、
── いくら石を積んでも、どういうものか、石垣は自然に下から崩れて行くという話だ。
そんな噂があちこちでささやかれた。
こうした非難の声が、中大兄皇子や鎌足の耳に入らないわけではなかったが、二人は民の迷惑や民の非難は充分承知の上で、強引に押し切ろうとしていた。どんなに辛くても、都造りだけは急がねばならなかった。半島の三国から使者の来朝は、ここ二三年目立ってしげくなっており、そうした異国人たちを迎えるためにも、都らしい都が必要だった。また辺境の蕃族ばんぞくたちに対する威信の上から言っても、いかなることより、都造りを先にしなければならなかった。鎌足は、これから十年かあるいは二十年、新政下の一番辛い時代が続くと言ったが、確かにその辛い時代は始まったのであった。
中大兄、鎌足がいっさいの采配さいはいを振っていることは、誰の眼にも明らかだったが、一般の非難の矢おもてには、斉明天皇が立たなければならなかった。
── 主上にはお気の毒ではあるが。
とか、
── 母帝には我慢していただかねばならぬ。
とか、そんな言葉が、毎日のように中大兄皇子と鎌足の間には交わされた。
都造りの最中に、高句麗、百済、新羅の使者がやって来た。この時は半造りの宮殿の庭に、紺の幕を大きく張りめぐらし、その中で饗宴を張った。
この年の暮れに、天皇は新しい宮殿岡本宮に引き移った。まだ完全には出来上がっていなかったが、新年の賀宴をここで張るためであった。女帝が新しい宮殿に移って、二、三日ったころ、半島へ派していた使者の佐伯連?縄さえきのむらじたくなわ難波吉士国勝なにわのきしくにかつ等が百済よりかえって来た。使者たちは異国から土産として鸚鵡おうむひとつがいを献上した。この見慣れぬ異国の鳥は誰の眼にも幸運と関係あるもののように見えた。
「このような鳥がこの国に参りましたことは、まさしく瑞兆ずいちょうと存じます」
朝臣たちは、口々にこのようなことを言った。併し、鸚鵡の出現が必ずしも瑞兆でないことは、間もなく証明された。新しい宮殿が火災のやくったのである。
年の暮も押し迫った頃、深夜、突然、新宮殿は、その一角から火を噴き出した。宮殿内は忽ちにして上の下への大騒ぎになった。老女帝を取り巻くようにして、大勢の女官たちが宮殿から非難し終わった頃は、宮殿の半分はあかほのおに包まれていた。
額田ぬかたはいったん女官たちと一緒に避難したが、再び焔の舞っている宮殿の敷地内にとって返した。し自分が起居している建物のむねに火の手が廻っていなかったら、そこから持ち出さねばならぬ二、三の書物があるからである。併し、額田はすぐそれをあきらめなければならぬことを知った。建物の中に入るどころか、そこに近付くことも出来ないほどの火勢であった。
2021/03/30
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