~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
有 間 皇 子 (3-02)
蝦夷たちは吐火羅とから国の男女たちとは違っていた。一人残らず、ゆったしと歩いた。眼をあちこちに移して落着きなく歩いているところは同じであったが、どこかに物憂ものうげなものをその表情や動作に持っていた。それがまた、都の民たちには不気味に思われた。それに吐火羅国のやからと違うところは、一人残らず武器を持っていることであった。ひどく大きな刀を腰に下げていた。
つきの木の広場で拝謁はいえつがあり、そのあとで半造りの岡本宮の一隅いちぐうで蝦夷たちをきょうする大酒宴が開かれた。既に出来上がっている宮殿の一部も使われ、建物の内部から庭園へとかけて、広い宴席は設けられ、それを大きく大幔幕まんまくが囲んだ。今までに一度もなかった程の大饗宴であった。この日は、朝臣の主な者はことごとく出席した。
そしてその翌日、蝦夷たちはまた王宮に赴き、天皇に謁し、また酒食を賜った。
この日、朝廷では新附の蝦夷たちにそれぞれ位を授けた。辺境さくとおさである あきた田の蝦夷二人には位一階を授け、淳代郡ぬしろもこおりの長沙尼具那さにぐらには小乙下、それに次ぐ宇婆佐うばさ には建武けんむ、続く有力者二人には位一階といった具合である。また特に沙尼具那は、蛸旗たこはた軍鼓ぐんこ、弓矢、よろいなどの武器武具を賜った。またこれと同様に津軽郡の蝦夷たちにも、それぞれ有力者の順に位を授け、首領馬武めむには武器武具を賜った。都岐沙羅つきさらの棚の蝦夷、淳足ぬたりの蝦夷も、同様であった。
三日目には淳代郡の蝦夷の長沙泥具那一人が王宮に伺候しこうし、蝦夷の戸口と捕虜の戸口とをしらべ、一人の遺漏なく届け出ることを命じられた。沙泥具那は前日の恩賞にすっかり感激していたので、誓ってあやまちなく課せられた任務を果すことを言上した。
蝦夷の集団が都を引き揚げて行くと、誰からともなく、阿倍比羅夫の噂が流れた。
この出征軍の総帥が都へ入って来るといったような噂は全く根も葉もない事で、比羅夫は東北の辺境に居残っていて、更に新しい作戦に入ろうとしている、そう言う者もあった。また、中には、比羅夫は難波津なにわづまでは来たが、新しい作戦命令を受けて、都へは入らないで、難波津からすぐ引き揚げて行ったのである、そういうことを伝える者もあった。
額田女王はそういう巷の噂を無心には聞くことは出来なかった。どちらが真実であるか判らなかったが、どちらが真実であっても、さして不思議ないことに思われた。
狂心の有間皇子が比羅夫入京の噂の流れる以前より、額田には、もっと無力にもっと孤独に見えた。
この月、沙門しゃもん智通、智達ちだちの二人は勅を賜って、新羅しらぎ船で大唐の国へ渡るために都を出て行った。二人は前年新羅の案内で、新羅から大唐国へ入ろうとしたのであるが、新羅がその労を取ることを拒否したので、むなしく帰国し、こんど改めて直接、難波津に留まっていた新羅船を使って、大唐国を目指すことになったのである。
2021/04/13
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