額田女王が中大兄皇子なかのおおえのみこの妃として迎えられるという噂うわさが流れたのは、盂蘭盆会も終わって、都大路に秋風が渡り始めた頃であった。額田は中大兄皇子からいかなる申し入れも受けていなかったが、朝臣たちの一部では、そのような噂が専もっぱらであった。額田は人々の自分を見る眼の違って来たことを感じていた。違って来たのは自分を見る眼許ばかりではなかった。自分に対する態度も変って来ていた。誰も彼もが、額田に対して鄭重ていちょうな物腰で応対し、言葉遣いも亦改まっていた。
これまで、たとえ公然としたものではなかったにせよ、額田と大海人皇子おおあまのみことの関係は、誰ひとり知らぬ者はないことで、二人の間に十市皇女とおちのひめみこが生れていることも巷にまで知れ渡っていた。額田はそうした立場にふさわしく、大海人皇子の妃であるとも、妃でないともつかぬ格好で、周囲からほどほどの鄭重さで遇されていたが、こんどはそれががらりと変ったのである。
中大兄皇子の妃として迎えられるという単なる噂だけで、額田はこれまでに思っても見たことのない鄭重さで遇されるようになったのである。巷では中大兄皇子と大海人皇子の間の関係について、当然なことながら種々の推測が噂の形で流れていた。中大兄、大海人皇子の額田を挟はさんでの対立はもう何年も前からのことであるとか、額田女王が大海人皇子との関係を公然たるものにしないでいることも、そうしたことに原因しているとか、いろいろなことが言われた。また額田女王は既にもう大分前から大海人皇子とは正式に別れて、中大兄皇子の愛人になっている。それが今度公おおやけにされるだけのことである。そのように言う者もあった。
併しかし、いずれにせよ、噂の中に中大兄皇子が登場して来ることに依って、額田に対する世の人の眼はすっかり違ったものになってしまったのである。同じ兄弟の皇子ではあったが二人を並べてみると、新政第一の権力者としての中大兄の位置は、その協力者である大海人皇子のそれと並べてみることは出来なかった。いかなることのために、朝臣間にも、巷にも、このような噂が流れ出したか、その間の事情は判わからなかったが、どこかに何事か新しい事態が起こっていなければならなかった。
こうした噂が行われるようになってから暫しばらくして、額田は館に大海人皇子の訪問を受けた。大海人皇子は平生より幾らか血色の悪い気難しい顔をしていたが、額田の部屋に入って来ると、いきなり、
「中大兄皇子から汝なんじを所望された。もう大分前のことだが、それに対する返事の期日が明日に迫っている。いろいろ考えたが、こう返答することにした。── 俺おれは額田を譲ることは出来ぬ。それほど執心な女とあれば、俺は額田と別れてやろう。別れたあと、どのようにしようと、俺の知ったことではない」
気のせいか、大海人皇子の声は震えていた。別れたあと、どのようにしようと、俺の知ったことではない、と言ってはいるが、そういう言い方の底に、額田がいつか口に出した言葉に縋すがり付いているところがあった。
── あなたからも身を引き、中大兄皇子のお招きもお断りするでしょう。
額田は自分が口に出したこの言葉を覚えていた。大海人皇子は額田にそのような態度をとって貰いたいに違いないのであった。
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2021/04/17 |
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