~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
明 暗 (2-02)
北辺の征討軍の動静は、戦線を離れて粛慎人たちを護衛して来た武将によって仔細しさいに奏された。
阿倍比羅夫は己が率いる征討軍の他に現地の蝦夷たちをも徴し、それを船に乗せて出征した。そして海を渡り、海の向こうの上陸地附近で新たにその土地の蝦夷の二集団を己が傘下さんかに納めた。その地の蝦夷は、毎年のように粛慎人の来寇らいこうに依って大勢の民がし去られたり殺されたりしていたので、よろこんで征討軍に協力し、仕えることを申し入れて来た。阿倍比羅夫はそれらの新附の蝦夷の手引きで、粛慎の船団が隠れている場所を知り、初めは物品を与えて宣撫せんぶする方法をとったが、功を奏さず、ついに戦端が開かれ、来襲して来た敵を迎えて闘った。この合戦は征討軍の大捷たいしょうに帰したが、この戦闘で能登出身の武将馬身竜まむたつが戦死した。
戦死者は相当の数に上ったに違いなかったが、馬身竜一人の死が特に報じられて来たのは、恐らくこの人物が征討軍の中でも重きをなしていた武将であったためであろうろ思われた。あるいは能登方面で編成された部隊の長であるかも知れなかった。
粛慎騒ぎが一応静まった七月の半ばに、高句麗の使者の一団は帰国の途についた。
高句麗人の帰国に依って里心がついたためでもあるまいが、同じ月に吐火羅とから人たちもこの国の滞在が長くなるので、一度生国へ返してもらいたいと願い出て来た。吐火羅人の一人は、こんど帰国しても、自分は必ずこの国へもどって来て、大和朝廷へ仕えたいと思っている。そのあかしのために妻だけはこの国へ留めておくと奏上した。
帝はこれまでこの異国の漂流者たちを始終そばに侍らせて、心の慰めとしていたので、相なるべくは彼等の願いをき届けてやりたいと思った。この天皇の意向は、間もなく新政の首脳陣に伝えられ、廟堂で論議された。漂流人たちをおの生国に送り届けると言っても、船は調えなければならなかったし、やはりそれを動かく大勢の水手かこが必要であった。それに要する費用も莫大ばくだいなものになったし、大体、吐火羅国そのものの所在がはっきりしていないので、渡航は大きな危険を予想しなければならなかった。漂流者たちに話で唐国の南方にある国であろうと想像されたが、それも確かではなかった。大陸続きの国であるが、大洋の中の島嶼とうしょであるかさえもはっきるしてはいなかった。ただ彼等の話から、この国では想像することも出来ぬような珍奇な物産を持つ国であるように思われ、また漂流者たちの穏やかな性格から考えて、ある程度文化の進んだ国ではないかと想像された。
廟議なかなか一つにまとまらなかったが、結局は送使をつけて、漂流者たちをその生国に送還することに決まった。全くの無駄むだかも知れなかったが、反対にまた案外大きな拾い物があるかも知れなかった。
「送使をつけること、交易品を積み込むこと、万一に備えて、兵も乗せなければなるまい」
鎌足かまたりは言った。鎌足が一番この計画を積極的に支持していた。
かくして吐火羅人を送る船の人員構成は大規模なものになった。送使、吏員、水手等併せて数十人を数え、それらの人員と交易品を載せた行先のはっきりしない不思議な船は、一夜難波津から発航して行った。船は大洋へ出ると、西南への潮に乗った。あとは潮に運ばれて行くだけであった。
2021/04/22
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