~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
明 暗 (2-06)
王子豊璋は百済国王の子息である以上、その国が亡び、その国の遺臣たちから求めれれて来た以上、否応いやおうなしに差し出さねばならぬ人物であった。併し、豊璋を返すか返さないかということでも、議論は二つに割れた。いま豊璋を返すのは死地に追いやるようなものである。百済が亡んでしまったとあれば、豊璋はただ一人のこされた王族として、いまや貴重な存在である。無駄むだに生命を落とさせるようなことはしてはなからに。百済の再興は他日を期するとし、それまで豊璋の身柄みがらはこれまで通り、この国で預かっておくべきである。これに対して、豊璋は預かりものである。しかも、いまその国は亡び、再興を図る遺臣たちから、国の主として迎えんと求められて来ている。返さざるを得ないではないか。そう主張する人たちも居た。
それにしても。問題は豊璋の返し方であった。何年も留めおいて、国が亡びるという大事に際して一人で返してやるのは、たとえ国は亡んだとしても、百済に対する礼を失するというものであった。しもそうしたことが他国に知れたら、万世までぬぐうことの出来ない国の恥辱になるだろう。豊璋を返すなら、当然援軍をつけてやらねばならなかった。援軍を差し向けるのがいやなら、何か理由をつけて、豊璋を返さないでおく以外仕方がなかった。
要するに豊璋のことも含めて、問題は半島へ兵を送るべきかいなかということにしぼられた。たとえ大きな危険を冒しても、百済再興をはかって半島へ出兵すべきか、百済のことはあきらめて、つまり、過去につちかって来た権益は棄てても、唐国を刺戟しげきしない態度をとるか、そのいずれかであった。
併し、厄介やっかいのことは、半島へ兵を送らず、百済の遺臣たちを見殺しにしてしまったからといって、それでこの国が安全であるという保証はなかった。新羅と唐の連合軍は百済をほふった勢いを駆って、この国へ押し寄せて来ないとも限らなかった。しかも、今までの新羅との関係を考えれば、それは充分にありそうなことに思われた。
新政の首脳者たちは廟堂に列している者に充分意見を出させる態度をとった。一国の運命を決することである。十二分に意見を闘わせて、その上で決定すべきであった。
廟議の大勢はその日その日に依って変った。一時は主戦派が大勢を左右しそうに見えたが、それに要する兵力、兵備の問題を検討する段になると、次第にその声は低くならざるを得なかった。新政のみのりようやく諸般の制度、施設の上に現れかけていたが、ただそれだけのことで、国力の充実というところまでは行っていなかった。半島へ兵を送るとなると、民は上から下まで塗炭とたんの苦しみを覚悟しなければならなかった。
兵を徴する組織も出来ていたし、租を徴する制度も出来ていたが、それはただ出来上がっているというだけの話であった。辺境の夷賊いぞくも次第に皇威に服するようになって来てはいるが、それが国力の中に組み入れられるのは、何年か先のことである。
この十年間、いっさいを犠牲にして新しい国家体制の整備ということに力を注いで来た。朝臣も民も、そのために犠牲の生活をいられて来たのである。そして漸く、その稔は現れ始めようとしている。政争のもととなるような暗い陰翳いんえいは全く取り除かれ、支配体制は確立し、国内の異民族征討に全力を投入し、着々それは実を結ぼうとしているのである。しかるに、この際、半島に兵を送るということになると、いっさいの事が十年前に逆戻ぎゃくもどりしなければならぬであろう。
中大兄皇子なかのおおえのみこにとっては、廟堂に於ける鎌足ほど冷たく見える人間はなかった。居住いを正して、いつも微動だにしないでいる。顔の色は平生より少し蒼味あおみを帯びており、何を考えているのか、静かに半眼を閉じていることが多い。
鎌足は、この大問題を処理するのは結局は中大兄皇子であり、またそうでなければならぬと思っていた。中大兄が半島出兵の可否を裁決しなければならぬときはやがて来る筈であった。鎌足は、その時、中大兄の裁決に一切をける考えであった。出兵と決まったら、国の総力を結集し、兵団を次々に半島に送らねばならぬ。また反対に、百済の権益を放棄しても、兵を動かさないというなら、それはそれで、それに対する万全の策を講じなければならぬ。海辺の防備も厳にしなければならぬし、半島に対しても、唐に対しても、政治的な手を打って、半島で失ったものを、ほかの形で取り戻す策を講じなければならぬ。
鎌足は、中大兄の最後の裁決を待つ態度を終始変えないでいた。出兵の可否は人間の裁量では判断できなかった。彼自身、どちらをこの国の態度とすべきか、実のところ、見当が付かなかったのである。出兵したら、この国へいかなる運命が見舞うか、反対に出兵しなかったら、この国がいかなる運命に見舞われるか、神以外、誰も知らなかった。廟堂において、時折、鎌足は自分に注がれる中大兄の眼を感じていた。その時々この問題についてはなんじはどう考えるか。そう問いかけて来る中大兄の眼であった。鎌足はいささかも表情を崩さなかった。鎌足にとっては、今や中大兄は神であった。神の下され給う裁決を待っているだけであった。どうして神に対して、己が小さい考えなどを具申出来るであろうか。
2021/04/24
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