~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
明 暗 (3-04)
廟議が打ち切られてから一日おいて半島出兵のみことのりが下った。
乞師請救 聞之古昔 扶危断絶 著自恒典 百済国窮来帰我 以本邦喪乱 靡依靡告 枕戈嘗胆 必存拯救 遠来表啓 志有難奪 可分命将軍 百道俱前 雲会雷動 俱集沙? 翦其鯨鯢 紓彼倒懸 宣有司 具為与之 以礼発遣
中大兄が鎌足に話した内容が、中大兄が望んだように雄勁な文章に綴られてあった。
晩秋の静かな日であった。廟堂に列していた者は、既にこのことあるを知っていたが、それは限られた極くわずかな者だけで、百官の朝臣の大部分の者が、初めて事態が容易ならざる方向に展開したのを知ったのであった。
詔の下った日は官吏や武臣たちの表情が改まったぐらいのことで、巷々ちまたちまた は静かであったが、それから二、三日すると、半島出兵のことは都の民たちの全部知るところとなった。静かな晩秋の日は続いていたが、その静けさが都の人々には異様なものに感じられた。民たちは到るところで半島出兵についてうわさし合ったが、具体的にそれが自分たちの生活にいかなる影響を持つかは判らなかった。たいしたことはないようにも感じられたし、これから大変な時代が来るようにも感じられた。詔が下ってから何日かは都にも何の変りもなかった。兵団も入って来なければ、兵団も出て行かなかった。官吏たちの朝廷に出仕する姿に多少緊張したもののあるのは見受けられたが、ただそれだけのことで、相変わらず朝と暮れ方に、時刻を報ずる鐘の音が寺々からはき出されていた。その鐘の音も別段平生と変りあるものとは思われなかった。
都がこうした静けさを保っている間に、半島出兵のことは、一個の石に依って池の面に起された波紋のように、近江おうみに、信濃しなのに、若狭わかさ に、駿河するがに、伊豆いずに、能登のとに、武蔵むさしに、播磨はりまに、筑紫つくしにというように、次々に地方地方に伝えられて行ったのである。
急使は八方に馬を飛ばせていた。野分のわきの吹きすさんでいる山野を走り、時雨しぐれれの落ちている平原を走り、雪模様の灰色の空が押しかぶさっている北陸路の海沿いの道を、走りに走っていた。日本列島の到るところで、何百人かの急使たちはそれぞれに馬をけさせていたのである。
容易ならざる事態の前触れは、ゆっくりと、併し確実な足取りでやって来た。十一月の初旬から、近畿一帯の地に兵の徴集が行われ始めた。国府の手で農村からも、山村からも、若い男たちは兵として徴せられ、国府のある所在地に集められた。都も都附近も例外ではなかった。戸籍は出来上がっていたので、逃げ隠れは出来なかった。
徴せられるのは民の若者たちばかりではなかった。父を役人に持っている若者たちも、次々に白羽の矢が立った。労役に徴せられる場合は、金で代えたり、米で代えたりすることも出来ないわけではなかったが、今度は一切そういうことは許されなかった。金のある家も、役人の家も、貧しい民の家と同じように、若者があれば、それを差し出さなければならなかった。若者が二人ある家で、二人とも徴せられる場合もあり、三人の若者を持つ家で一人しか徴せられぬ場合もあった。そうした不公平さがないわけではなく、それがあちこちで問題になって混乱を起こしたが、根本的にはこんどの徴兵は民、役人の区別なく行われていると言ってよかった。
2021/04/25
Next