~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
明 暗 (3-05)
壮丁の徴集はたちまちにして、都の巷々の表情を変えた。巷の男女たちは申し合わせたようにおびえた不安な眼を持つようになり、その動きも何かなしにあわただしく感じられた。
この年の冬は早くからやって来た。十一月の中頃から白いものが舞った。
十二月になると、もう一つ否応いやおうなしに民に非常事態の認識を迫る触れが出た。それは近く天皇が難波なにわの宮にみゆきし、そこで政務をるという発表であった。この発表があってから、巷の様相は更に一変した。都のあちこちを、慌しく動き廻っている朝臣たちの姿が目立った。勿論もちろん遷都せんとではなかっが、半島出兵のための臨時の措置で、文武百官の朝臣たちは、家族をそのままにしておいて、自分だけ居を難波にうつさねばならなかった。
そして、それに追い打ちをかけるように、政府が難波の宮に移ったのはほんの僅かの期間のことであった。出来るなら年が改まらぬうちにでも、政府は老女帝を奉じて、筑紫に移りたい意向らしい。そういうことが噂となって流れた。これだけは単なる噂であろうと一部には受け取られたが、間もなくそれが噂でないことが判った。難波津に居残る者の人選が行われたからである。その他の大部分の者は難波を離れて、他のどこかへ移らねばならぬことを、暗に言い渡されたようなものであった。
十二月の中旬にはいると都はごった返した。もはや官吏にも、民にも、半島出兵は遠い他国のことでも、他人の身の上のことでもなかった。誰も彼もがその騒ぎにき込まれていた。親子の別れもあれば、夫婦の別れもあった。またこの頃から、毎日のように兵の集団が都に入って来り、都から出て行ったりした。難波へ通ずる街道にも兵の集団は切れることなく続いた。
噂は雑多のものがあった。難波津の港は軍船で埋まっているとか、兵と水手かことが集団で争ったとか、百済の戦線から何百という敗残の兵が逃げ込んで来たとか、またその敗残兵たちは上陸を許されないで半島へ引き返して行ったとか、どこまでが真実で、どこまでが風評であるか判らなかった。ただ一つはっきりしていることは、難波の旧都が急にそこに集まった人たちでふくれ上がり、混乱を極めているということであった。
十二月の中旬から、都の寺々では鎮護国家の法会ほうえが営まれ、仁王般若経にんのうはんにゃきょうせられ、のべつそのための鐘は鳴らされ出した。そうした中を毎日のように鵞毛がもうに似た雪は舞った。
2021/04/26
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