~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
鬼 火 (1-03)
大海人皇子は母帝の御魂みたまを送ると、直ちに筑紫に帰らねばならなかった。半島の戦雲は急で、一日も都に留まっていることは許されなかったのである。額田もまた、大海人皇子の一行に加わって、難波津で乗船、筑紫を目指した。
都に滞在しているわずかの間に、額田は巷々ちまたちまたにいろいろな風評が行われていることを知った。どういうものか、どれも半島出兵に対して暗い見通みとおしを持っているうわさであった。巷には、意味のよくわからぬ童謡が歌われていた。何のことを歌っているのか、正確なことは判らなかったが、その歌の調子にも、歌のことばにも、聞く者の心を底から冷え上がらせるような暗いものがあった。
── 背を曲げて百姓が辛苦して作った山田の稲を、かりがやって来てみんな食べてしまう。追っても、追っても、やって来て、みんな食べてしまう。百姓はみんな泣いている。こうしたことになるのも、天皇が狩猟を怠って、憎い雁どもをはびこらせてしまったためだろう。大体、天皇の御命令の言葉には力がない。ああ、雁がねに、みんな稲は食い荒らされてしまう。
このような意味にもとれる童謡であった。政府の施政が間違っているために、農夫ばかりが苦労して、その収穫はみんな悪役人に持って行かれてしまう。そういう意味にもとれた。またそうしたことに託して、半島出兵を難じているようにも受け取れた。いずれにしても、若い働き手を兵に徴せられた民の生活の苦しさが、このような童謡を生んだのに違いない。
また筑紫の朝倉宮の例の怪異の噂も、何倍かに誇張されて伝えられていた。ちょろちょろと青い光を出して燃えれいるたくさんの鬼火に取り巻かれた宮の中で、老女帝は息を引き取ったのだというようなことが言われていた。そして、天皇の突然の崩御も、施政と結び付けられたり、半島出兵と結びつけられたりして、あれこれと噂されていた。
額田はすべてが悲しく思われた。中大兄皇子が立ち向かっているものが、都へ戻ってみると容易ならぬものであることが判った。必ずしも民たちから支持されているわけではなかった。これまでは、そうした批判や非難を、老女帝が皇子に代わって引き受けていたのであるが、老女帝の亡き後は中大兄が一手に引き受けねばならなかった。そうした点では、弟の大海人皇子の立場の方が楽であった。
2021/05/11
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