~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
鬼 火 (4-08)
中大兄皇子は格別豊璋を ののしりもしなかった代わりに、特に阿倍比羅夫に期待する言葉も出さなあった。中大兄はそれどころではなかった。第三派遣軍のことが、いまの中大兄皇子にとっては一番の大きな問題であった。白村江の戦闘が味方に有利に展開しない場合は、是が非でも援軍を送らねばならなかった。こうしたことは、この春までは一度も考えなかったことである。二回にわたって大軍を送ってあるので、一部で戦局が不利になろうと、それが決定的な結果を打出すとは考えられなかった。
しかし、現在の局面は大きく異なっていた。わが軍は海上に於いて、大唐の船団と相見あいまみえようとしていた。しかし、こちらは不利な状況に於いて決戦場に臨まねばならぬのである。勿論決戦を避ける戦法も取れないこともないが、そのためには豊璋の軍を見殺しにしなければならなかった。豊璋の軍が潰滅し、百済全土が敵の手中に落ちるということは、それこそ半島出兵の意味もなかったし、それがもたらす事態は容易ならぬものであった。
「新たに援軍を送らねばならぬ時が来ないとも限らぬ」
中大兄皇子が言うと、
「第三回の派兵については、すでに手筈を調ととのえております。ただ、今直ぐということにないますと、──」
鎌足はここで言葉を切って、
「半歳、せめて半歳欲しいところでございます」
と言った。その半歳経たぬうちに第三回目の兵団を半島に送らねばならぬということになると、満足するような軍容を調えることはむずかしいという鎌足のいい方だった。確かにその通りであった。兵の徴集は同じように行われていたが、訓練、装備、いずれの点から見ても、第一回、第二回派遣軍の場合のようなわけには行かなかった。
それから何日か、筑紫の本営には重苦しい空気が立ち込めた。戦捷せんしょう祈願、国家安泰を祈念する神事、法要は毎日のように行われ、朝に夕に寺々でつかれる鐘の音がものものしく聞こえた。
そうしたある日、半島からの使者が派せられて来た。新羅南部の戦線から白村江に移動した最初の兵団からの報告であった。
── 大唐の軍船の、白村江に布陣結集すものもおよそ一百七十艘、陣をつらねて固く、戦機熟するを待ってえて動かず。われは百済本軍と相計あいはかり、後続兵団の来着をって、戦端を開かんとす。 先を争うこと、勝因を掴むことに他ならず。わが兵団密集して、矢の如くはしり、敵の戦列の中央をぬかんとす。
そう言う報告であった。第二回派遣の中軍から送られて来たものであった。言うまでもないく、後続船団の来着を待って、先に戦闘を仕掛けて行くという作戦を報告して来たものであった。
この報告に依ると、阿倍比羅夫の後軍はまだ白村江におもむいていないことになっており、それが物足りないと言えば物足りなく、不安と言えば不安であった。
しかし、この報告は筑紫の本営を明るくした。報告には会戦を前にして既に敵をむのがいがあり、戦捷を予約しているところがあった。
これ最後にして、その後ぷっつりと半島との連絡は切れてしまった。
2021/05/21
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