~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
鬼 火 (5-04)
筑紫に本営を置いている大和朝廷にとって苦しい日々がやって来た。半島敗戦のことはいくら固く秘していても、どこからともなく洩れ拡がった。半島から兵の屍体したいを乗せた船や、血にまみれた無人の船が筑紫の港に漂い流れて来たという噂は、二、三日すると筑紫一帯の地にひろまり、更に二、三日すると、半島における敗戦のことは役人、武人、民の別なく、到るところでささやかれた。初めはあちこちで声をひそめて囁かれていたが、たちまちにしてそれは声高いものに変わって行った。声をひそめてひそひそ囁いていられるような問題ではなかった。親の、夫の、息子の、兄弟の問題であった。誰も彼もが半島に出征している身近い者の安否が気きづか われた。それはまた、ひいては自分たちの問題でもあった。一時のことと思えば身近い者を大和朝廷の御用に差し出したのであるが、それが再び帰って来ないとなると、直接今後の生活に関係して来る容易ならぬ問題であった。が問題はそればかりではなかった。今にも半島から勝ちに乗じた敵軍が押し寄せて来るとか来ないとか、そんな流言が飛んだ。流言はこれまでは巷間にだけ流れるものであったが、今度は巷間に限られなかった。朝廷の役人、武人の間でも巷間と同じように、そうした噂がうず を巻き、人々はすっかり落ち着きを失って、仕事が手につかなかった。
流言を取り締まる布令が出た。布令は一回では足りなくて、二回にも、三回にもわたって出た。
みだりに根も葉もないことを言いふらして世道人心を惑わす者は斬罪ざんざいに処すといったきびしいものであった。 巷々ちまたちまたにも物々しく武装した警備の兵が立った。しかし、肝心の警備の兵自身落ち着きを失っていた。兵たちは兵たちで巷を歩きながら、半島の敗戦についてあれこれ噂し合っている有様であった。

半島からの使者が敗戦の報をもたらしてから三日目に、鎌足は大和に向かうために、朝臣や兵数十人を連れて筑紫をって行った。これは、やがてこれからやって来る未曾有みぞうの国難に対処するための、一番大切な仕事であった。いつ押し寄せて来るかも知れぬ敵軍に備える事も大切であったが、それより長く留守にしている近畿一帯の人心の動揺を防ぐ事の方がもっと大切であった。
半島敗戦の報は、やがて近畿一帯の地にも伝わる筈であった。それは今や時日の問題であった。
そうしたことから引き起こされる混乱は、筑紫より何層倍も大きいものに違いなかった。そして、何よりも恐ろしい事は、未だに大きい勢力を持っている豪族、氏族たちの動揺であった。彼等はそれぞれに割り当てられた若者たちを兵として半島に送っていた。彼等の中には、もともと半島の出兵に反対している者も多かった。ただ大和朝廷の命にって、若者たちを差し出しているだけのことであった。
中大兄皇子は大和へは自分が帰りたいくらいの気持であったが、敗戦の責任者として、筑紫を離れることは出来なかった。そして結局、鎌足をそのしずめとして大和へ帰すことになったのである。鎌足以外にはこの大きい役割を果せる人物はなかった。
鎌足が筑紫を去って行くと同時に、遠国へ向かう騎馬の兵が次々に筑紫から出て行った。海辺の防備を固める指令を持った兵たちであった。兵たちは、いずれも二、三十人が一団となっていた。遠くは能登のとや、淳代ぬしろを目指す集団もあった。
筑紫一帯の防備には大海人皇子が当たることになった。筑紫の海岸地帯は全くの無防備の常態に置かれてあった。水城みずきも築きたかったし、堤も造りたかったが、そうした余裕はなかった。取りあえず要処要処に兵を配置するほかはなかった。しかも、兵は少なかった。第三回の半島派遣のために徴せられている兵たちであり、それも充分とは言えぬ数であったが、新たに筑紫一帯の海岸に配置するとなると、兵力の不足は決定的なものであった。ために新しく兵も徴さなければならなかったし、労務の要員も徴さねばならなかった。そんなわけで、徴兵も徴用もまた同時に行われることになり、それが人心を動揺させ、巷の人々に敵の襲来が目睫もくしょうの間に迫っているような不安を与えた。
中大兄皇子にとっても、大海人皇子にとっても、今まで考えてみたことがなかったような忙しい毎日が続いていた。やらなければならぬ仕事は、次から次へと二人の皇子をめがけて押し寄せて来た。あらゆることが二人の皇子の指令を必要とした。。
2021/05/23
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