~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
鬼 火 (5-07)
翌日から半島作戦の本営の置かれてある筑紫は全く異なった町になった。半島の戦線を棄てて落ちて来た日本の将兵と、百済の難民がどっと町にあふれた。日本の将兵の方は数が少なかったので、それを収容するのはさして難しいことではなかったが、百済人の方は夥しい数であった。一ヵ所に固めて置くわけには行かず、何ヶ所かに分けて置いた。
帰還した日本の将兵の数は公表されなかった。しかし、極く僅かの将兵が帰って来ただけだといううわさはすぐひろまり、彼等の収容所に当てられた寺院をめがけて、大勢の者たちが押しかけた。
筑紫一帯の地から出征した兵たちの家族の者たちであった。父を、子を、夫を求める男女の群れであった。寺院のある地区には縄張りがされ、一般の者は一歩もその内部に入ることは許されなかったが、それでもどこからか忍び込んで来る者はあとを断たなかった。縄張りの外の混乱は勿論であるが、縄張りの内側にも混乱はあった。寺院の周辺や境内では絶えず警備の兵たちが駈け廻っていた。悲鳴や叫び声があちこちから聞こえた。
百済の難民の方も、その宿舎の周辺は縄張りされてあったが、こちらはこちらで統制というものの全くとれていない集団であった。混乱は難民たちが分散されたことから起こっていた。子供が親から離されたり、一家の者が別々の宿舎にいれられたりしてあったので、互に相手を求めて、勝手に自分の宿舎を出て、他の宿舎に行こうとした。そんな難民たちが町の到るところをうろつき廻っていた。
そうした百済人を片っぱしから警備の兵がとらえていたが、言葉が通じないので、簡単にはらちがあかなかった。道の真ん中に坐り込んで、両手を高く突き上げて、何かわめきながら、悲歎ひたんの情を表現している老人もあれば、子供の姿さえ見れば駈け寄って行って抱こうとする狂心の女もあった。
こうした町に新たに流言が飛んだ。何日か後には何万という唐軍が来襲する。敵の兵船は、既に半島の南部の港に集結を終わっているのである。そう言うことがまことしやかに伝えられた。
今度の流言は、これまでんぽ流言と違って、一応誰の顔色をも変えさせるだけの力を持っていた。げんに半島からは僅かの将兵しか帰って来ず、百済からは夥しい数の難民が国を棄てて逃げて来たのである。いつ自分たちにも、難民の運命を持たぬとも限らない。
そうした流言を裏書きするように、筑紫一帯の海岸地区から、一般の民は立ち退くようにという布令が出た。そしてこの立ち退きのために、漁村という漁村は混乱した。この布令は数日にして撤回されたが、撤回によって、また混乱は一層大きいものになった。
2021/05/26
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