~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
水 城 (1-03)
筑紫の大海人皇子からは、使者が派せられて来ていた。新しい使者を引見するたびに、新政の首脳者たちは緊張し、そしてほっとした。唐や新羅の来襲は、どういうものか延びており、単に延びているばかりでなく、それらしい兆候も認められないという報告であった。
年が改まると間もなく、大海人皇子に対して都へ還る指令が発せられた。それに対して、大海人皇子からは、もう半歳筑紫に留まっているべきではないかという意見が具申されて来たが、中大兄皇子は折り返して、新しい重大な任務が大海人皇子を待っていることを申し送った。実際に事態は大海人皇子の登場の一日も早いことを求めていたのである。
近畿一帯の豪族、氏族たちは表面にはその不満を現さなかったが、朝廷から出される命令というものは、結果的に見ると、殆ど無視されていると言ってよかった。そして、豪族の誰と誰がどこで連絡をとっているか、誰が私兵を集めているとか、そんな物騒なうわさまで流れていた。
物騒なのは豪族たちばかりではなかった。朝臣公卿こうけいの中にも、新政に対する批判を、半ば公然と口にする者もあった。こうしたことは、これまでは考えられないことであった。民は民で、肉親の者を失っただけで、何もることのなかった半島への出兵に対して、いつまでも黙っている筈はなかった。
大海人皇子が筑紫から還って来るそうだという噂が巷間に流れ出したのは年の暮れであった。年が改まると、その噂は広い地域にひろまって行った。そして大海人皇子が単に還って来るというだけの噂でなく、大海人皇子についていろいろなことが言われた。大海人皇子はこんどの半島出兵について反対したただ一人の人物であるとか、皇子はもともと新政に対しては批判的立場に立っていたとか、いろいろなことがまことしやかに伝えられた。そして、だから遅くまで一人筑紫に留まっていたのである、そんなことまで言われた。どこから出た噂であるか判らなかったが、この噂によって、大海人皇子の帰還が、民に男女に何かなし明るいものであるような印象を与えたことは事実であった。
その大海人皇子の帰還が実現したのは、一月の初めであった。噂が充分にひろまり、皇子への期待が充分に高まった頃、あたかもそれ見計らいでもしたように、大海人皇子は都に姿を現したのであった。
大海人皇子の都入りは中大兄皇子のそれに較べると、ずっと明るく派手でった。難波から飛鳥へ向かう道中も、一行は前後を武装した何集団かの兵たちによって固められ、到るところで聚落のおさたちの出迎えを受けた。朝臣公卿たちも皇子を迎えるために幾つかの聚落にたむろしていた。
敗戦から半歳近い月日が経過していたこともあり、また筑紫にあとまで踏み留まり、その上の帰還であるということもあって、大海人皇子の場合、敗戦という事実とは多少無関係な帰還であるような印象を世人に与えた。しかし、考えてみれば、敗戦と無関係であろう筈はなかった。
勿論、こうしたことに対して力あったのは、前年の暮から流布されていた大海人に関する噂であり、そしてそれを裏書きするような、どこか明るさのある迎えられ方であった。とうとう大海人皇子は還って来た! そうした思いは民の男女の誰の心にも生まれた。
2021/05/28
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