~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
水 城 (1-05)
しかし、この三回目の筑紫からの使者の報告に依って、中大兄皇子はすぐ己がとるべき態度を決めた。中大兄皇子は朝臣たちに自由に意見を発表させたあとで、
「いつまでこの問題を討議していても始まらぬ。いま、中大兄の心は決まっている」
と言った。すると、大海人皇子も顔を上げて、
「大海人もまた、心が決まっている」
と言った。すると鎌足は、
「お二人の皇子は、それおれお考えが決まったとおっしゃる。それならば、お二人の皇子のお考えを承り、そのいずれかに決めることにすべきである」
そして、鎌足は中大兄皇子の前に身を進め、前屈てまえかがみの姿勢で中大兄の言葉を己が耳に入れた。そして、
「まことに」
と大きくうなずき、次に大海人皇子の方に進んで、同じようにした。そして、ここでも大きく頷いて、自分の座に戻ると、おもむろに口を開いた。
「お二人の皇子の御意見は全く同じである。寸分のすきもない。いま議しているこの問題は、国の明日を左右する重大な問題であるが、御聡明なお二人の皇子が、期せずして同じ考えをお持ちになった。われわれはお二人の意見に従って、この問題を処するだけである」
それから、ちょっと間を置いてから、
「── 唐使が国から派せられたものでなく、一兵団の将からのものである以上、これを受け付ける必要はない。牒書も献物も収めないことにする」
鎌足は言った。それが二人の皇子が心に決めたことであった。一座はしんとしていた。誰もがそう遠くない将来、自分たちは唐の来攻軍を迎えねばならぬだろうという思いを強くした。
蘇我連大臣そがのむらじのおおおみは何とか言おうとして、口をもぐもぐさせた。正式の唐使ではないにしても、せっかく持って来たのだから、牒書と献物ぐらい受け取った方が事を荒立てないだろうということを、自分の考えとして言いたかったのである。
が、大臣は、口を何回も異様に曲げたままで、口から言葉を出さなかった。手でひざの上を何回か叩くようにして、それからやがて前ののめった。その床への倒れ方は一座のすべての者の眼に異様に映った。巨勢徳太こせのとこだに代わって大臣の職にあったったのである。蘇我連大臣は、この時ふいに死に見舞われたのである。いつも己が意見を口に出せぬ気の弱いところのある朝臣であったが、初めて己が意見を主張しようとして、死の大きな手に鷲掴わしづか みにされてしまったのである。しかし、 しかし、これは蘇我連大臣にとってはしあわせであったかも知れない。もし、誰かが反対の意見を口に出したとしたら、中大兄皇子は言う筈であった。
「相手は唐の半島派遣軍の一将であるに過ぎない。どうしてそのような者からの牒書を受け取ることが出来るであろうか」
それから大海人皇子は大海人皇子で、同じことをもっと強い言葉で言ったであろう。
「相手は白村江はくすきのえでわが軍を破った唐将ではないか。そんな者から牒書を受け取ったとあっては、白村江の潮に沈んだわが将兵の霊が浮かばれないだろう」
鎌足はいささかも自分の考えを疲労するつもりはなかったが、二人の皇子にも蘇我連大臣にも賛成だった。鎌足は一応礼を尽くして、牒書を拒み、礼を尽くして唐将からの使者を送り返すつもりであったのである。そして、鎌足は結局その通りにしたのであった。
十月に朝廷は郭務悰に使者を立て、国使でなことを理由にして牒書を受け取ることを拒み、そして一方沙門智祥しゃもんちしょうつかわして、手厚く遇して、物を贈った。十二月、郭務悰等は帰った。使者が帰って行くと、飛鳥の政府では再び海防のことを取り上げ、こんどは本格的に防禦施設の強化について議した。いつ唐の大軍が攻め寄せて来るかも知れないという事態は少しも変わっていなかったし、唐使を国に入れないでかえしたことについて、唐からの報復があったとしても不思議ではなかった。しかし、唐使をすことなしに還らしめたことは、朝臣武臣の気持を引きめる上にはいいことであった。戦争は決して終わっていず、依然として戦時は続いているのだという印象を人々にに与えた。
2021/05/30
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