~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
水 城 (2-03)
翌日から、額田は宮中に出仕して、遷都に関して執り行わなければならぬ幾つかの神事の準備に当たった。三月に入っても、遷都の時期に関するいかなる発表も行われなかった。巷はふしぎに平穏であった。遷都のことが噂として流れている時よりずっと人心は落ち着いているように見えた。泣いても笑っても、都を近江に遷すことは決まってしまったのだ。飛鳥の都は棄てられ、近江の都造りが始まる。民はまたそのために何年か苦しい生活をいられねばならぬ。それも致し方ない。半島の出兵の時より、まだ男が兵として取り上げられないだけでもいいとしなければならぬのかも知れぬ。いずれにしても、それまでにまだ多少の時日の余裕はあるだろう。── 人々のこういった気持が、都の表情をひっそりとした静かなものにしていたのである。
三月に入って数日った時、遷都の日の発表があった。政府機関が新都へ引き移って行く日は、十日ほど先のことであった。この十日ほどの先に迫ったあわただしい遷都は、誰の心をも驚天させた。殆ど信じられぬことが発表になったのである。
この発表のあった日から、都は混乱した。都や都附近に居を構えている民たちがはちの巣をつついたように右往左往し出したのは勿論もちろんであるが、それよりも、この発表と同時に、政府機関の一部が新都へ移って行き、どれに伴う人々の移動が開始され始めたからである。大和から近江へ向かう街道はたちまちにして兵団で埋められた。
鬼火は、その夜から燃えだした。筑紫の鬼火とは違っていた。都の何ヶ所から出火した。いずれも大事にならず消し止められたが、一つが消されると、他から出火するというように、人為的な鬼火はあちこちでちろちろ燃えた。明らかに失火ではなかった。遷都をのろっている者の所為であった。
鬼火はその夜限りではなかった。翌日の昼間も燃え、夜も燃えた。翌々日も同じ事であった。放火者があるに違いなかったが、いっこうに放火者はとらえられず、そんなことから、それが本当の鬼火の所為であるというような流言も流れた。鬼火はふいに宙間に怪しい姿を現し、消えたり灯ったりしながら当所あてどなく漂い流れ、それが民家の屋根に落ちると、そこから火をき出すというのである。
発表になった遷都の日を三日ほど先に控えた日、額田は護衛の者を連れて都大路を歩いた。この頃はもう鬼火は飛ばなくなっていた。代わって、鬼火どころではない騒ぎが都中をひっくり返していた。商人たちは廃墟はいきょになる都に留まっていても始まらなかった。住む家があろうとなかろうと、新しい都へ移って行かねばならなかった。
額田は住み慣れた美しい大和と別れなければならぬ民の悲しみが、そっくり自分のものとして感じられた。額田もまた、この美しい都から離れて行くことは悲しかった。やがて別れて行かなければならぬ大和のなだらかな丘々を、その埋めている小松の林を、空を、雲を、水を、額田は堪え難いほどの悲しみの思いでながめた。この日は、額田にとっても、大和の自然との飛鳥の都との別れの日であった。大和三山とも飛鳥川とも別れねばならなかった。
しかし、額田は都大路を右往左往している人たちの決して持たない思いをも、また持っていた。
中大兄皇子が堪えなければならぬように、額田もまた堪えていたのである。民の悲しみに、呪いに、耐えていたのである。中大兄がひとりで背負わねばならぬものを、額田はその何分の一かでも、自分で背負っている気持であった。── このようにしても、なお都は近江へ遷さねばならぬものである。それが新政の責任者としての、敗戦の責任者としての中大兄の為さねばならぬことであるに違いないのである。
額田は都大路を歩いていた。日が暮れても、まだ館に引き返そうとはしなかった。中大兄皇子に代わって、神の声を聞き、大和と別れる歌を詠わなければならなかったからである。
2021/06/03
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