近江に都を遷す日は来た。三月の十九日である。その前夜から翌暁にかけて、主だった朝臣という朝臣。武臣という武臣は尽ことごとく王宮内に詰めかけていた。いざ都を引き揚げて行くとなると、為さなければならぬ仕事がたくさんあった。遷都のことが一年も二年も前から決まっていれば、これに対する準備のしようもあったが、遷都の期日の発表があってからまだ何日も経っていないのである。準備という点から言えば、もともと無理な遷都であった。無理な事は承知の上での遷都の強行であったのである。打ち棄てて行く都の最後の夜を朝臣、武臣とも、誰も眠らなかった。仮睡すら取っている暇はなかったのである。
やがて十九日のの夜が白んで来た。朝の空気もうるくぬるんでいる春の曙あけぼのであった。曙の光が微かすかに漂い始めた頃はうっすらと霧が流れていたが、夜が白んで行くにつれ、薄紙をはがして行くように霧は霽はれた。しかし、雲が一面に空を覆っている。
王宮の広場には都と別れて行くための宴席が作られてあった。正面には神の祭壇が設けられてあり、何人かの神事を司る役人たちが何回も何回も宴席に立ち現れては、またどことなく去って行った。
祭壇は二つあった。一つは天照大神あまてらすおおみかみ、倭大国魂やまとのおおくにたまの二神を祀まつった祭壇であり、もう一つは三輪山みわやまの神を祀る祭壇であった。三輪山は都が飛鳥あすかにある間、飛鳥の人たちの山でもあった。都大路からは眺められなかったが、小高い丘に登るか、郊外に出ると、一種独特の美しさを持ったその山を望むことが出来た。その美しさにはどこかに犯し難いものがあり、人々は心のどこかで美しい三輪の山の神を怖おそれていた。この都を、この都に住む人々を守り給うた神であった。三輪山の神を崇あがめ、怖れたのは民たちばかりではなかった。為政者も朝臣たちも同じであった。国が安泰であるためには、三輪山の神の心を鎮めておかねばならなかったのである。
この日朝廷では、天照大神、倭大国魂に遷都のことを報告し、新しい都に遷る国の安泰を祈念すると共に、三輪山の神には飛鳥の都から離れて行くことについての許しを得、新しい都における国の繁栄を祈念する儀式を併あわせ執り行おうとしていた。この神事を行わなければ、この日、飛鳥を発って行くことは出来なかった。
やがて式場には多くの朝臣、武臣が集まって来て、それぞれ所定の場所に着いた。誰も彼も睡ねむり足りない筈であったが、新しい都に還って行く日の緊張がそこに居並ぶすべての者の顔を別のものにしていた。
神に捧ささげる楽の音ねが流れ出す頃、時折薄陽うすびは照ったが、すぐまた翳かげり、人々はこの日が曇った薄ら寒い日であることを知らねばならなかった。都を取り巻く山々こそ曇天の下にその姿を見せているが、その奈良の山々に重なっている三輪の山は、すっぽりと雲の中に姿を匿かくしている筈であった。
中大兄、大海人の両皇子、それに続いて鎌足を初めとする朝臣の主だった者たちが姿を現した。
楽の音は一段と高くなった。神事は恐ろしいほど長い時間にわたって行われた。そこに居並んでいる者は何回も立ち上がっては、その度たびに深く頭を下げ、時にはいつまでもその頭を上げることは出来なかった。
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2021/06/04 |
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