~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
水 城 (2-07)
近江の新都は、そこに移って行ったすべての人々に寒々とした田舎いなかの聚落に見えた、都が半造りであることは仕方ないとしても、背後だけに山を背負い、前方に湖を配した地形は、ひどくあけ放しの落ち着かない感じであった。背後の比叡の山にしろ、飛鳥の都を包んでいた大和の山々の優美さはなく、いたずらに荒々しく感じられた。それから新都をその一部として湖畔に拡がっている平野には、樹木が少なかった。一面、あしや雑草におおわれており、しかもその草叢くさむらの中には、あちこちに沼や沢がかくされてあった。
── これでは野狐やこ棲家すみかではないか。
そんなことが大勢の人たちにささやかれた。美しいはずの湖もまた、多くの人々には美しくは見えなかった。 琵琶湖びわこが美しいというのは、その湖畔を旅する旅人たちの言うことであって、いざその湖畔に住みつくということになってみると、誰にもうやに水のぶさぶさしている不気味な拡がりにしか感じられなかった。
三月から四月へかけて、近江に移って来る人たちで、新都は混乱し続けたが、その最中に暴風があった。静かだった湖はまるで違った様相を呈し、ぶつかり合う波しぶきが大きな水の柱となって天に上がった。そんな水柱が何本も立った。水辺の生活に慣れぬ人々は例外なく、これはとんでもないところへ引き移って来てしまったという思いに襲われた。
── ここは貧しい漁師たちが、生計を立てるためにむを得ず家を構えるところではないか。
そんなことも言われた。
── 大和から難波に移り、難波からまた大和へ還り、それから筑紫の行宮かりみや時代が始まる。やっとのことで筑紫から大和へ引き揚げたと思ったら、今度はとうとうこんな辺鄙へんぴなところへ来てしまった。
朝臣や武臣は、さすがに口には出さなかったが、誰も彼もそうした思いを持った。大化の新政になって以来、次々に都は変わり、変わる度に民の生活は苦しくなっている。都造りで苦しみ、半島出兵で苦しみ、これからまた何年か、改めてまた、都造りで苦しまねばならぬのである。
しかし、そうした中にあって、額田だけは、近江の新都を美しいと思った。近江の新都へ足を踏み入れた額田の最初の印象は、中大兄が新都としてここを選んだのはよかったということであった。都は半造りでまだ都の形はなしていなかったが、何の飾りもない湖畔の平野に散る陽の光も新しかったし、風の音も新しかった。また全面に湖を控えている解放的な都の感じも新しかった。すべてが、額田にはこれまでの大和の都にはなかった新しいものに感じられた。大和の都ばかりでなく、難波の都にもなかったものであった。そういう点から見れば、中大兄皇子が長い間夢みて来、どうぢても実現できなかった新しい政をく舞台としては、この近江ほどぴったりしたところはないに違いないと思われた。
額田は己が館を都の一隅に持った。ここも大和と同じように山裾やますそであり、さして高い場所ではなかったが、大和のそれと違うところは、遠くに湖面の一部を望めることであった。
近江の都に移ってから、額田は出歩くことが多くなった。宮中に出仕しない日は、大抵供を一人か二人連れて、終日ひねもす近江の山野を歩き廻った。奈良の都の場合とは違って、どこを歩いても、さして人眼にはつかなかった。湖畔を埋めている芦の中に分け入ったり、湖畔に作られている細い道を、それが尽きるまで歩いて行ってみたりした。都は毎日のように労務者の群で混雑をきわめていたが、額田の毎日はそうしたことにはいささかもわずらわされなかった。
2021/06/05
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