~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
水 城 (2-08)
六月に、近江の都と程遠からぬ葛野郡かどのこおりから白いつばめが献じられて来た。昔から白い燕は白い すずめと同様に瑞兆ずいちょうとされていたので、それが献じられて来たことは、献じられて来ないよりいいことに違いなかった。小さい白い鳥は大きなかごに入れられて、新しく造られた宮殿の庭に置かれた。何日か毎日のように、これを見る人たちで賑わった。
翌七月に、耽羅たんらから朝貢使がやって来た。新しい都で迎える最初の異国からの使者であった。
使者は、これまでのいかなる使者より手厚く遇され、その代わり毎日のように兵団の閲兵に立ち合わされた。都は半造りでまだ形を成していなかったので、新都の首脳者たちは兵力がいかに充実しているかを見せる以外仕方がなかったのである。
あわただしく夏を迎え、夏を送り、秋を迎えた。夏から秋へかけては、昼夜兼行で都造りが行われた。
秋も終りになる頃になると、大和の都とは比較にはならなかったが、ともかく、湖畔の一角に王城らしい幾つかの館が出来上がり、それを取り巻くようにして幾条かの街並みが見られた。大和の都と同じような街造りであった。そしてその王城地区の外側に当たる地域には、いつの間にか商舗が立ち並び、そこに集まる民たちの数は日々多くなりつつあった。ちまたには大和とは違って、湖畔で獲れる魚介をひさぐ店が目立って多かった。
この頃、筑紫から使者が派せられて来て、百済くだらを占領している唐将の劉仁願りゅうじんげんから、何年か前に遣唐副使として唐国に赴いた境部連石さかいべのむらじいわつみ積等が送りかえされて来たということを報じた。再び故国へ戻っては来ないと思っていた石積らが無事に帰国したというしらせは、白燕、耽羅からの朝貢使に続くこの年第三の明るい事件であった。大唐国がこの国に対して事を構えることを望んでいないということを示す事件であった。
このことは巷にうわさとして流れた。
── これで唐の軍隊が押し寄せて来ることはなくなったそうだ。
こういうことが、いろいろな言い方で言われた。民たちにとっては、何となく自分たちに上に覆いかぶさっていた暗鬱あんうつなものの一番大きいものが取り除かれたといったような思いの明るい事件であった。鬱陶しいものは一つでもなくなれば、なくなったことに越したことはなかった。都造りも、これまでのところでは斉明女帝の時とは違って、そう大規模なものではないし、長く続いた暗い時代にも漸くにして暁の光が射し出した、そんな思いを誰もが持ったのであった。
しかし、民たちは間もなく自分たちがよろこぶにはまだ早過ぎることを知らねばならなかった。
というのは、この明るい噂の最中、大和の高安山たかやすやまの築城のことが発表になり、そのための徴用が行われたからである。そしてそれを追いかけるように、讃岐国さぬきのくに屋嶋やしま築城と対馬国つしまのくに金田かなた築城が発表になり、それに関しての大々的な徴用が近く近畿一帯の民たちに対して行われるだろうということが噂された。いずれも異国の来襲に備えての築城であり、この工事のためには都造りより何層倍か多くの労力を要するということであった。
この築城騒ぎで、巷に漂っている明るいものはいっぺんに吹き飛んでしまい、、暗いものが再びそれに代わった。丁度本格的な冬の季節に向かう頃で、大和では風が吹く日は少なかったが、ここでは湖面からも、山からも寒風が吹き下ろして来た。毎日のように寒い風が街を洗った。
この頃になって、また鬼火が燃え出した。新しく造られた王宮の一棟ひとむねが、原因のわからぬ火を出した。この場合は幸いしぐ消し止められたが、それから何日かにわたって、毎夜のように、巷には火事があった。朝臣の家が燃えたり、武臣の家が焼けたりした。
こうした最中、朝廷では先に来た耽羅の朝貢使におびただしい量の土産物みやげものを下賜した。にしき十四匹、ゆはた十九匹、あけ二十四匹、紺布はだなのぬの二十四端、桃染つきそめのぬの五十八端、おの二十六、なた六十四、刀子かたな六十二枚といったものであった。これでもか、これでもかといったほどの贈り物であった。この贈り物の採択に当たったのは鎌足であった。それが多過ぎるのではないかという声も朝臣の一部では起こったが、鎌足は少な過ぎても、多過ぎることはないと言い張った。
「耽羅は国をげてわが朝廷を頼っている。いまこの国に臣属しているただ一つの国ではないか」
鎌足は言った。その通りには違いなかったが、それにしても、新たに鬼火が燃え始めている時でもあり、巷間に伝わって誤解をんではという心配もあった。幸いこのことは巷の噂とはならなかったが、朝臣たちの間ではいろいろと批判的な言葉が交わされた。
額田の耳にもそうしたことが伝わって来たが、額田はこの問題には全く異なった見方をした。
これまで中大兄皇子の即位の時期はいつであろうかと見当がつかないままでいたが、この耽羅への贈り物を耳にした時、額田は何となくその時期が目前に迫っているに違いないと思ったのである。恐らく耽羅の使者が帰国した時は、中大兄皇子はすでに名実共に新政の最高責任者の位置についているのではないか。
額田は自分の心に不意にやって来たこの思いを暫くそのまま抱きしめていた。
── 中大兄皇子は御位におつきになる。
── 中大兄皇子は御位におつきになる。
額田は異様な感動に身を揺すぶられていた。それは額田も中大兄皇子のために待ち望んでいたことであった。中大兄にとって随分長い苦難に満ちた時代は続いて来たのである。そして、更になおその時代は続くにしても、いま漸くにして、暁の光が見え出し、中大兄皇子の時代は来ようとしているのである。
額田の眼から涙がはふり落ちた。額田は涙を頬に伝わるに任せていた。
2021/06/06
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