~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
近 江 の 海 (1-01)
斉明天皇ほう後、七年間皇太子の身分で天下のまつりごとって来た中大兄皇子は、七年正月三日即位の儀を行った。天智天皇である。七日群臣は王宮に集まり、酒食を賜った。湖の水際みずぎわには毎日のように氷が張り詰めている寒気のきびしい時季であったが、その日は風もなく気持よく晴れ渡っていて、王宮の宴席からは、琵琶湖の静かな湖面に明るいの散るのが見られた。湖を取り巻く山々は雪をかぶって、きびしい白さで塗られているが、心なしか、山々もまた、表情を改めていた。
朝臣たちはこの日初めて、近江が美しい国であることを知った。飛鳥あすかの都でも、難波なにわの都でも、このように美しい自然には恵まれていなかったと思った。王宮の持っている眺望ちょうぼうは単に美しいばかりでなく、限りなく大きく広かった。宴席は昼から夜に及んだ。
この日、ちまたでもまた、民たちは新しい時代が来たことを祝った。中大兄皇子の長い称制の時代は終わって、天智天皇の時代は来たのである。こう思うだけでも、民たちの心は新しい期待でふくらんだ。これまで巷で歌われている歌と言えば、時代をのろい、為政者をふうする歌ばかりであったが、この日から異なった歌詞が人々の口にのぼった。誰が作るのか誰がしれを広めるのかは判らなかったが、こうしたことの敏感さには驚くべきものがあった。さあ、これから年々年貢は少なくなり、徴用のこともなくなって行く。長い間掛け声ばかりで、一向に新政の恩沢といったものはこうむ らなかったが、これからは違うだろう。そうした明るい見透みとおしがあればこそ、称制の時代は終わったのである。誰も彼もこう考えた。民ばかりでなく、朝臣も武臣も同じ考えであった。
二月に古人大兄皇子ふるひとのおおえのみこむすめ倭姫王やまとのひめのおおきみ皇后きさきに立ち、蘇我石川麻呂そがのいしかわまろの女である姪娘めいのいらつめ阿倍倉梯麻呂あべのくらはしまろの女橘娘たちばなのいらつめ蘇我赤兄そがのあかえの女常陸娘ひたちのいらつめ栗隅首徳万くるくまのおびととこまろの女黒媛娘くろひめのいらつめ、この四人がひんとなった。後宮の妃たちも、それぞれ坐るべき椅子に坐ったのである。
そして五人の妃たちのうわさが一応終りになると、人々は必ず額田女王の名を口に出した五人の妃たちの中にも、その他の妃たちの中にも、額田女王が入っていないことが、当然な事のように思え、不自然なことのようにも思えた。
しかし、今度のことではっきりしたことは、額田が後宮の女性たちの一人でないということであった。ふいに人々の眼には額田女王という女性がこれまでとは全く異なったものに見えた。
生き生きとした自由な美貌びぼうの女性に見えた。これまでは何と言っても、二人の皇子のいずれかと関係を持っている特殊な女性であった。それが今度のことで、大海人皇子ひとりにしぼって考えることが出来るわけであったが、大海人皇子との関係の方は、人々にとってはいまは最早さして関心あるものではなかった。それに、近江へ移ってから、人々は大海人皇子が額田の館を訪れたという噂も聞かなかったし、二人が一緒に居るのを見たと言う人もなかった。額田はいつも女たちだけに取り巻かれていた。
額田女王は人々の眼にそう映るほど、確かに生き生きとしており、何となく新鮮で自由なものを見につけていた。額田自身、立居振舞ひとつにも張りがあり、朝を迎え、夕を送る毎日の同じような生活にも、充実したもののあるのが感じられた。どうしてこのようになったか判らなかったが、ようやくにしてめぐり来た天智天皇の時代を、額田は誰よりも新しいものに感じていた。天智天皇は即位すると同時に、額田の手の届かぬ遠い存在になった。これまでのようにお召しの使者を迎える事もなかったし、そうしたことを考えることも出来なくなった。
額田は神事が執り行われる たび に宮中に出仕しては、身を きよ め、神に仕えた。天智天皇の御代がより輝かしく、より美しいものになるように神に祈った。民の心からひとかけらの不平も取り去られ、万民こぞってこの御代を謳歌する、そのような時代が来るために神を まつ り神に祈った。
額田はめったに天智天皇の前に姿を出すことはなかった。たまにそのような時があっても、 はる か遠くに天智天皇の姿をかいま見るだけのことであった。 かつ て特別な関係を持った相手とは思えぬ遠さであった。そこに居るのは たくま しい腕を持ち、それで自分の体を抱きとった皇子ではなかった。今や近寄るべからざる崇高な神であった。
しかし、額田はそのような立場に身を置くようになってから、 かえ って、ある意味では相手を自分の身内に感ずるようなっていた。額田は神事に仕えている間中、中大兄皇子と一緒だった。中大兄に皇子の心で神に仕え、中大兄の心で神に祈った。
神事に仕えている時、不思議な陶酔が額田を襲うことがあった。それは額田にとって初めてのことではなかった。何年か前 筑紫 つくし で額田は中大兄皇子と一緒に鬼火に取り巻かれ、その鬼火の中に倒れたことがあったが、その時と同じ陶酔であった。ただ鬼火の場合と異なるところは、筑紫の場合は中大兄に皇子の一番苦しい時であり、額田は皇子と一緒にその苦しさに耐えたのであったが、今は違っていた。どこにもそのような皇子が耐えねばならぬ苦しさはなくなっていた。
神事に仕えている時ばかりではなかった。額田は新しい時代になってから、前よりずっと自由に巷をも、郊外をも出歩くようになっていたが、どこへ行っても、額田は中大兄と一緒に居た。民の男女の顔が明るければ中大兄のために よろこ び、民の男女の顔が暗ければ中大兄のために悲しんだ。中大兄が悦ぶであろうように悦び、悲しむであろうように悲しんだ。
額田は、従って、孤独を感ずるようなことはなかった。いつも称制時代の中大兄に皇子と一緒だった。称制時代には決してなかったようなぴったりとした身や心の あわ せ方で、額田は中大兄と一緒になっていたのである。
2021/06/07
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