~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
近 江 の 海 (2-03)
五月五日に蒲生野がもうの遊猟のことがあった。それは大友皇子と十市皇女の祝いがあった頃からすでに人々の話題になっており、近江へ遷都してから初めての朝廷をげての明るい楽しい遊楽であった。
蒲生野という名が口から出ると、人々の心は明るくはずんだ。が、蒲生野がいかなるところか知っている者は極く僅かであった。大抵の者が湖畔に沿った明るい原野を漠然ばくぜんと眼に浮かべるだけのことだった。蒲生野がいかに美しい別天地であるかということは、誰も何回地啼耳にしていた。たまたまそこを訪ねた者が例外なく口をきわめて、そこがのどかで美しい場所であることをたたえたからである。
しかし、蒲生野遊猟の日まで、身が細る思いで心配していた者も居ないわけではなかった。何日か前から蒲生野に派せられている役人たちからは、毎日のように急使が派せられて来ていた。
── かもの集まりは昨年より多いように見受けます。湖畔の沼沢という沼沢には鳥類が群れております。
そういう報告もあれば、
── 山手の狩猟場では、昨日今日、僅かに三頭の鹿と十数匹のうさぎを見掛けたに過ぎません。
そういう報告もあった。また、
── 薬草園は今がどの花も真っ盛りでございます。穏やかな日和ひよりが続きさえすれば何の心配もありませんが、一度でもあらしに見舞われますと、半分の花は散ってしまうかと思われます。
そういう判り切った連絡もあった。報告は日によって異なっていた。兎がひどく多いというしらせもあれば、鳥類が夕べの中にどこかへ移動してしまったらしいという報せもあった。係の役人たちの心配は大変なものであったが、日は一日一日と、五月五日に近付いて行った。幸い大雨もなく、大風もなかった。
遊猟の前夜、何集団かに分かれて、武装した騎馬隊が東に向かった。蒲生野一帯の地を遠巻きにして、要所要所に配される護衛の兵たちであった。
当日は、早朝からきらびやかな集団が、次々に馬を配したり、輿こしを配したりして、都城を出て行った。一つの集団が出て行くと、極く僅かな間隔をあけて、次の集団がそれに続いた。天智天皇の妃たちとその一族だけでも何集団かを数えられたので、それに大海人皇子、大友に皇子、百官の群臣となると、おびただしい数の集団になった。三、四十人の大きい一団もあれば、十人程の小さい一団もあった。
男たちは狩衣かりぎぬで身を包み、女たちは野遊びの軽装であった。ただ女たちはそのほとんどが輿の中に身をかくしていたので、いかなる装いをこらしているかは、路傍で見物している巷の男女たちには判らなかった。
集団は湖畔に沿って長い隊列を作った。隊列は停まったり、動いたりしながら、夏の朝のと風の中をひどくゆっくりと進んで行った。そして湖畔のある地点に着くと、そこに待機していた何十そうかの船に、この場合もまた集団ごとに乗り込んで行った。大きい船もあれば小さい船もあった。小さい船には、どれも兵や狩人かりうどたちがこぼれるほど満載されていた。
船が次々に蒲生野の入口の波止場に着いたのは午刻ひるにまだ間のある頃であった。。そこからまた輿の行列が続いた。湖畔に拡がっている原野を突っ切て、隊列はゆっくりと湖岸から遠ざかって行った。小高い丘に登らないと湖が見えなくなった頃、行列は停まった。何百からの輿から、女たちはいっせいにこぼれ出た。さわやかな風が渡っている原野であった。
原野は女たちでたちまちにして一面のお花畑に化した。歓声や叫び声が風に乗って下手しもて へ下手へと流れた。
思い思いの服装をした男たちや女たちは、そこから前もって設けられている第一の休憩所へと向かった。幼い皇子や皇女たちも、歩いたり、抱かれたりして、低い丘のすそを走っている小道を歩いた。
休憩所は低い丘の上にあって、湖畔を遠望するにはもってこいの場所であった。到るところに幔幕まんまくが張られたり、小屋掛けが出来たりしている。
男たちの一部はここから散って行った。東方の原始林の中に入ってゆく者もあれば、どこまでも拡がっている原野の中へ散って行く者もあった。また湖畔の方へ引き返して行く者もあった。狩猟場はいずれもかなり遠く離れていた。
休憩所の周辺には花の咲き乱れた原野が拡がっていた。薬草畑もあれば、人手の加えられていない自然の花畑もあった。
2021/06/16
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