~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
兵 鼓 (1-01)
天智天皇即位の年は朝廷に於いて蒲生野遊猟ばかりでなく、遊宴のことが多かった。額田もその宴席の多くに列なった。額田はこうした宴席になくてはならぬ存在になっていた。歌人として額田の右に出る者のないのは衆目の見るところであった。歌のよってこの変転きわまりない人生の哀歓を表現することは、近江朝の指導的な立場にある人たちには大きい魅力となっており、歌というものが ようやく時代の文学として大きく花咲こうとしていた。こうした気運に従って、額田の存在は人々の目に大きく派手なものとして映っていた。
また額田は、この時機に於いて天来の美貌びぼうに輝きを増していた。人々は誰も額田の美貌が若い時よりひと廻り大きく豊かになったのを感じた。その挙措動作も自由でのびのびしていた。それもその筈、三十四歳にして額田は長い歳月を通して追い求めて来た何ものにもさえぎられない自由な境地に、いま漸く立つことが出来たのであった。額田はかつて天皇のちょうを得た女性であり、また曽て大海人皇子の寵を得た女性であった。しかし、それはあくまでも過去のことであり、現在は何者にも拘束されず自由であった。
ある宴席で春の美しさと秋の美しさを論じ合ったことがあった。そこに列なっている者たちは男も女も、春山をたたえる者と、秋山をでる者との二組に分かれた。天皇は最後に額田にそのいずれにくみするかと たずねた。一座の者は固唾かたずを飲んだ。額田の口から出る言葉がこの論争に一つの決着をつけるかの如きその場の印象であった。
額田はそれを歌によって答えた。
冬ごもり
春さり来れば
鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ
咲かざりし 花も・・・・
額田はここで言葉を切った。一座の半分がざわめいた。それは誰にも春をする歌に違いないと聞こえたからである。額田はしばらく間を置いてその次の歌詞をゆっくりと続けた。
咲かざりし 花も咲けれど
山を茂み 入りても取らず
草深み 取りても見ず
秋山の 木の葉を見ては
黄葉もみつをば 取りてぞしのぶ
青きをば 置きてぞなげ
ここでまた額田は言葉を切った。さっきとは違った半分の者たちがどよめいた。もはや、春山から一転して、それは秋山の賛歌に違いないと思ったからである。
そこし恨めし
一座はしんとなった。額田がどちらにくみするかわからなくなったからである。
秋山われは
ここで初めて、額田ははっきりと、自分が秋山をとることを明らかにしたのであった。こうしたことをさせると、額田の独壇場であった。集まりは、額田がひとり居ることで優雅にもなり、風雅にもなった。
2021/06/26
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