~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
兵 鼓 (1-05)
この年、天智天皇の八年の秋に、鎌足の家に落雷があった。その日は午前中は晴れていたが、午刻ひるぐらいから急に空はかき曇り、あたりは夜のように暗くなって小石大のひょうが降った。そして雹の落ちるのがやや下火になった頃から雷鳴がとどろき、雷光が空の到るところをはしった。
この天地の異変は、ごく短い時間のことではあったが、この間に鎌足の家の一棟ひとむねから火を噴き出した。落雷のための出火であったのである。こうした時は大抵何ヶ所かに落雷があるものであるが、この時は鎌足の家だけが選ばれていた。いかにも鎌足の家に雷が落ちるために、突発的な異変が起こり、ひと時、天地を幽暗の中に閉じ込めてしまったかのような印象を人に与えた。
── 近く鎌足の身に何事か変事があるのではないか。
ちまたの人々はこのような噂をした。果たしてこの落雷騒ぎから何日もたないうちに、鎌足が病を得て、しかもその病が決して軽いものではないことが、誰からということもなく巷に伝えられた。
鎌足が重い病の床にしていることは事実であった。天智天皇は鎌足の家にいでまして、親しく病床をお見舞いになった。天皇の眼には鎌足の姿が全く別人に見えた。鎌足は何年も病んでいる人のように面窶おもやつれがして、心は衰え、口から出す言葉にも精気がなかった。
「臣、もともと不敏に生まれついております。その私を天下のまつりごとの相談相手にお選び下さり、何かと私の意見をお採り上げ下さってことについてお礼の言葉のございません。考えてみますれば、何一つ大きい御信任におこたえすることは出来ませんでした。そのことが、この期に臨んでまことに残念でございます。半島の敗戦も、敗戦の後始末の不手際ふてぎわも、それから国内の諸政の実績の挙がらなかったことも、みな鎌足の責任でございます。大化のあの大きい御事業を現在のような形にしか継承出来なかったことを、鎌足心から申し訳なく思っております。もう鎌足の命数は尽きております。再び起つことは出来ないでありましょう。私が亡くなりましたなら、葬儀は出来るだけ簡略にしていただきとうございます。生きて軍国に何一つ御奉公出来なかった身が、死後どうしてその不名誉を重ねていいものでございましょうか」
鎌足は言った。その一語一語を、天皇は肺腑はいふをえぐられるような痛みで聞いた。重い病患に倒れた鎌足を見て、天皇はいま自分の前から去ろうとしているものがいかに大きいものであるかを知った。
2021/06/29
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