~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
兵 鼓 (2-05)
大勢の妃たちの歌も次々に発表されていった。
うつせみし 神にたへねば
さかり居て 朝歎く君
はなり居て 吾が恋ふる君
玉ならば 手にまき持ちて
きぬならば ぬぐ時もなく
吾が恋ふる 君ぞきその夜
夢に見えつる
この歌には署名はなかった。妃たちの一人が作った歌であることは確かであったが、その名は秘せられていた。この現生に今生きている私は、神になられた大君と御一緒に居ることは出来なくなりました。幽明さかいを異にして、遠く離れていた、毎朝のように私の歎き思う君、私の恋い慕う君、玉であるなら手に巻いて、衣ならば脱ぐ時もなく、常に肌身はなさずいましょうものを。その君に夕べ夢の中でお逢いいたいました。
額田は思わずあたりを身回した。同じような悲しみの歌ではあったが、額田にそのようなことをさせずにおかぬものを、その歌の心は持っていた。ましいほど、天皇と作者の親しさが、たくまずして誇りやかに、美しく、悲しくうたわれてあった。
ささ浪の
大山守おほやまもり
がためか
山に標結しめゆ
君もあらなくに
署名は石川夫人とだけあった。姪娘めいのいらつめである。美しい近江国、ささなみ附近の大山守は、いったい誰のために山にしるしを立てるのでありましょうか。天皇はお亡くなりになってしまったのに。これも素朴で、素直ないい歌でった。
やがて、額田の歌が詠みあげられた。
かからむと
かねて知りせば
大御船おほみふね
てしとまりに
標結しめゆはましを
このようなことがあろうと、かねて知っていたのでしたら、天皇の御船の泊まった港にしめを張って、御船をとどめたことでありましょうのに。
額田は自分の歌が、役人の一人によって詠み上げられているのを聞いていた。歌は、これまでの歌と同じように、二回繰り返して詠われていた。
その間、額田が眼に浮かべていたものは、刻一刻高まって来つつある黒い潮の面であった。
熱田津にぎたづに船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今はぎ出でな”とかつて詠ったあの熱田津の海であった。今にして思えば、あの出征の船旅は、額田にとっては生涯の最も仕合せな一時期であった。斉明天皇の崩御ほうぎょ、半島の敗戦と、容易ならぬ事件はあのあとに次々に続いて起こって来たが、あの熱田津の泊りにおいいては、まだそのような暗い影などどこにも感じられなかった。天智天皇もお若く、半島出兵へすべてをけて、毎日毎日忙しく過しておられた。その天皇のお心になり代わって、額田は出陣の船を詠ったのであった。大御船をあのまま、あの熱田津の港にとめおいて、しめを張りめぐらすことが出来たら、── そんな思いの中に額田は入っていたのである。
額田は歌が詠まれ終わった時、顔を上げた。この場合も嗚咽があちこちで起こっていた。しかし、額田はこの歌の心が判るのは、亡き天皇だけであるという確信を持っていた。聞く者の心に悲しみが入るなら、それはそれでよかった。が、本当にこの歌の心が判るのは、亡き天皇おひとりなのである。
こう思った時、額田は烈しい悲しみに襲われた。ほとんどその場に居たたまれぬほどであったが、額田は必死にその悲しみに堪えていた。死をすら棄ててしまったのである。どうしてこの悲しみぐらいに堪えられぬであろうかと思った。額田は悲しみに取り乱した姿を、大勢の妃たちに見せてはならなかったのである。天皇亡き今、このような妃たちに対する闘いは、これが最後のものであろうと思われた。これからは誰も知らぬ、こうした額田だけの闘いもなくなってしまうのである。そう思うと、またそれが新しい悲しみを誘った。
2021/07/03
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