~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
兵 鼓 (3-06)
大友皇子の命によって、王宮内に居る女人たちが大広間に集められたのは、近江が戦場になろうとしている七月の半ばであった。皇后倭姫王やまとのひめおおきみ姪娘めいのいらつめ橘娘たちばなのいらつめ常陸娘ひたちのいらつめ色夫古娘しこぶこのいらつめ黒媛娘くろひめのいらつめ道君伊羅都売みちのきみいらつめ伊賀采女宅子娘いがのうねめやかこのいらつめといった亡き天智天皇の妃であった女人たちは、ひと固まりになって席をとっていた。何となく倭姫王を奉ずるようなそんな座のとり方であった。と言って、こんどの合戦に対して、これらの女人たちが必ずしも同じ立場にあるとは言えなかった。
亡き天皇の妃であったという点では同じであったが、橘娘、色夫古娘はそれぞれ今度の攻撃軍の総帥である大海人皇子のもとに己がむすめを妃として送っており、天皇亡き今の場合は、近江方の勝利を念ずるのが自然であるか、吉野方の勝利を念ずるのが自然であるか、事情は複雑であった。
天智天皇の妃たちの中で、一番特殊な立場にあるのは、何と言っても、大友皇子の母である伊賀采女宅子娘であった。天智天皇の晩年に思いがけぬ恐ろしいほどの幸運が彼女を見舞ったが、その恐ろしいほどの幸運が今は別のものに変わりかねない状態にあった。宅子娘だけはひたすら近江軍の勝利を念じなけらばならぬ立場にあった。これだけははっきりしていた。それだけに宅子娘は他の妃たちの視線を冷たい矢として受けているに違いなかった。宅子娘は生来控え目なおとなしい性格で、いかなる場合も他の妃たちの陰に自分を置いて来たが、今はそれが一層甚だしくなり、今度の事件の責任はすべて自分にあるかのように、身を固くして血の気のない顔を深く俯向うつむけ続けていた。ひたすら近江方の勝利を信じなければならぬ立場にあると言えば、近江方の重臣蘇我赤兄を父に持つ、常陸娘も同じであった。天智天皇との間にもうけたまだ幼い山辺皇女を横に坐らせて、たとえどんな時代が来ようと、この姫だけは手離すまいと思い込んでいるように見えた。八人の亡き天皇の妃たちの中では、この常陸娘だけが目立って若かった。
こうした天智天皇の妃たちの一団とやや間隔をあけて、大海人皇子の妃たちもまたひと固まりになっていた。二つの女人たちの集団ははっきりと異なったたたずまいを持っていた。大海人皇子の妃たちは、はっきり言うと今やとらわれ人の立場にあった。人質であった。大海人皇子が吉野に入る時、彼女たちも同行を願ったに違いなかったが、それは許されず、彼女たちを代表するといった格好で鸕野皇女うののひめみこひとりが大海人皇子と行を共にしたのである。大兄皇女、新田部皇女にいたべのひめみこ五百重娘いおえのいらつめ大蕤娘おおぬのいらつめ尼子娘あまこのいらつめ?媛娘かじひめのいらつめ、そしてそれぞれが幼い皇子、皇女たちを身近に引き寄せている。この中で多少特殊な立場にあるのは近江から脱出し、吉野方の陣営に走った高市皇子の母である尼子娘であった。高市皇子が現在精鋭を率いて攻撃軍の第一線で活躍していることは、この近江の王宮にまで伝わっていた。大津皇子も近江から脱出していたが、この方は母の大田皇女がすでに数年前にspan>身罷みまかっており、大津皇子の姉である十二歳の大来皇女おおくのひめみこが、母のない皇女として、ひとりさびしそうにこの集団の中に入っていた。弟の大津皇子と行を共にすべきであったが、皇女であるために許されなかったのである。
この天智天皇の妃たちと、大海人皇子の妃たちの集団から離れて、何となくそれにかい合うような形で、十市皇女が座を占めており、そのただひとりの附人のように、その傍に額田は坐っていた。額田はこれまでこのような席に姿を見せたことはなかったが、今日の場合は異例であった。王宮内のすべての女人たちに集合命令が下ったので、はっきりと十市皇女の母としての自分を一座の女人たちに示したのであった。それからまた十市皇女が大友に皇子の妃として特殊な立場にあり、明らかに今やそれは孤独以外の何ものでもない席であったので、額田は彼女に付き随ってやらねばいられない気持であった。
額田の眼には一座で十市皇女が一番落ち着いているように見えた。吉野挙兵から今日までの間に、十市皇女の心の中をいろいろな感情が荒れ狂ったに違いなかったが、しかし、荒れ狂うだけ荒れ狂った果てに、運命にじゅんずる気持が彼女の心の中に居坐ったのである。額田の気持もまた落ち着いてきた。十市皇女の運命が、額田自身の運命であった。
こうした三つの座を取り囲むように、女官や侍女たちが席をとり、そしてその周辺に少数の朝臣たちが座を占めた。
2021/07/06
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