~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅲ』 ~ ~

 
== 『 額 田 女 王 』 ==
著 者:井上 靖
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
兵 鼓 (3-08)
大友皇子は瀬田川西方に陣し、付近一帯の原野を近江朝廷軍の旌旗せいきで埋めた。これに対して、吉野方では、近江腰部に転戦して連戦連勝破竹の勢いを見せている村国男依むらくにのおより等が、数万の軍を率いて、瀬田川の東岸に陣した。
戦端が切って落とされたのは七月二十二日である。『日本書紀』は次のように記している。
── 旗幟きし野をかくし、埃塵あいじん天につらなる。鉦鼓しょうこのおと、数十里に聞こゆ。列弩れつどみだれ発して、矢の下ること雨の如し。
湖畔の王宮にも、その日一日中、合戦の雄叫おたけびと兵鼓ひょうこの音が聞こえた。風向きの加減でついそこで合戦が行われているようにも、戦場が次第次第に遠くに離れて行くようにも聞こえた。戦況は全く判らなかった。王宮の門は固く閉ざされ、かなりの数の兵が門という門を固めていて、その采配さいはいは何人かの朝臣たちがとっていた。犬の子一匹、この王城に入れなかった。
近江の王宮がこの日ほどひっそりしたことはなかった。大勢の妃たちは何人かの侍女たちにかしずかれながら、それぞれ己が居室に閉じ籠っていた。いかなる運命がやって来るか、その運命の近づいて来るのに耳を傾けている格好かっこうであった。
蘇我赤兄を父に持つ大蕤娘と常陸娘が一つの部屋に入っていた。共に父の運命を気遣きづかう共通の立場に居たが、大蕤娘は大海人皇子の妃であり、常陸娘は亡き天皇の妃であった。同じようにひっそりと坐ってはいたが、時折おもてを上げるその表情には多少の違いがあった。
大友に皇子の母である宅子娘だけが、時折廻廊に出た。放心した歩き方で廻廊を歩いた。合戦の雄叫びは彼女を居ても立ってもいられなくしていたのである。この宅子娘だけがただ一人の正真正銘の大友皇子の味方であった。この宅子娘には気丈な老いた侍女が二人、影が形に添うようにつき従っていた。他の妃たちは、亡き天皇の妃であれ、大海人皇子の妃であれ、それぞれ皇子か皇女を持っていた。どんな運命が見舞おうと、皇子や皇女の為に生きなければならぬと考えることが出来たが、宅子娘の場合は違っていた。大友皇子の生命が彼女自身の生命でもあるに違いなかった。侍女たちは万一のことを警戒して宅子娘に配せられていたのである。
合戦の雄叫びと兵鼓の響きは、夕方まで聞こえ、夕暮と一緒に鎮まった。一日は早く暮れた。
戦況は全く不明であった。この無力な女人たちだけが閉じ込められている王宮には、いかなる使者も派せられて来なかった。
この夜、、額田は十市皇女と同じ部屋にした。額田は殆ど十市皇女に言葉をかけなかった。十市皇女の口から出るいかなる言葉も耳にするのも怖かったからである。十市皇女が何を考えいぇいるかは、彼女自身が言ったように、確かに天だけが知っていることであった。そしてそれは天だけが知っていればいいことで、額田は自分の知るべきことではなないと思っていた。
寝苦しい一夜が明けると、白っぽい暁方あけがたの光と共に、再び合戦の雄叫びが風に乗って聞こえて来たが、それは昨日ほどはげしいものではなかった。次第に間遠になり、かすかになって行った。午刻ひるを過ぎると、あとは全く雄叫びも兵鼓の響きも聞こえず、静かな初秋のが湖畔の王宮を包んでいた。湖面は一枚の青い布でも拡げたようにいでおり、時折、渡り鳥の群れが空の高処たかみを湖西から湖東へと渡った。
夜が来た。湖畔に沿った何百ヵ所かの地点で火がかれているのが王宮の庭先から見えた。
おびただしい数の火の隊列であった。湖畔の明るいのに引きかえ、湖心一帯の闇は深く、王宮の丘から見るとそれは異様な妖しい眺めであった。湖畔の明るいのに引きかえ、湖心一帯のやみは深く、王宮の丘から見るとそれは異様なあやしいながめであった。
深夜、急に王宮は騒がしくなった。間もなく二人の朝臣が額田と十市皇女の部屋へやって来た。顔見知りの朝臣であった。
「合戦はわが近江方に利なく、作夕刻までに大勢は決まり、大友皇子は本日午刻頃、山前やまざきの地で御自刃あそばされました。お痛わしいことでございます」
それだけ言って、背後へ退いた。その時気付いたのであるが、部屋の外には武具をつけた数人の武人が頭をれていたが、やがてその中の一人が顔をあげた。
「大友皇子さまの御使者として参りました。大友皇子さまの御不運をお悔やみ申し上げますと共に、妃さまにはくれぐれも御短慮なことありませぬように、御父皇子さまからの御伝言でございます」
その言葉からでも判るように、明らかに吉野方の武人であった。
額田は立ち上がると、十市皇女の体を背後から支えてやった。いつ倒れるか判らないほど危うく見えたからである。やがて十市皇女の口からつぶやくような低い声が洩れた。
「父皇子さまにお伝え願いとうございます。わたしの生命は天のお裁きに任せて居ります。天のお裁きがないはずはありません。そのお裁きがあるまで、わたしは御不幸だった大友皇子さまの御子、葛野王さまのために生きることにいたしましょう」
この十市皇女の言葉の意味は、額田には理解出来たが、額田以外の誰にも理解出来る筈のものではなかった。この言葉を受け取る大海人皇子でさえ例外ではなかった。武装した男たちは十市皇女の不思議な言葉を復唱するように、自分の口から出し、その上で部屋から退出して行った。
その夜のうちに、王宮内の妃たちには大勢の侍女が配された。ことに宅子娘や常陸娘、大蕤娘の居室には万一のことを警戒して、侍女たちのほかに侍臣たちまでが詰めた。
この王宮には、、合戦の模様が伝わらなかったように、戦後の収拾についても一切伝わらなかった。妃や皇子や皇女たちは、不思議に静かで、どこかに空虚なところのあるこの年の秋を、みんなぼんやりと湖畔の王宮で送った。宅子娘は居室に籠ったまま、侍女以外いっさい誰とも顔を合わせなかった。
2021/07/07
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