~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
エトランジェの死 (1-02)
千代田区平河町の東京ロイヤルホテルのスカイダイニングルームに外国人刺殺体が転がり込んだという急訴を110番経由でうけた警視庁通信指令室は、直ちに現場付近に警邏けいら中のパトカーと所轄の麹町こうじまち署に連絡した。
麹町署とロイヤルホテルは目と鼻の先なので、所轄署員は、パトカーとほとんど同時に現場へ着いた。現場は同ホテルが最大の売り物にしている四十二階にあるスカイダイニングである。時間もちょうど午後九時を少しまわったtころで、客が多くなる時間帯であった。
地上最高(高度、値段、料理において)をホテルが自慢する超デラクッスなダイニングルームの、最も優雅な時間帯に、血まみれの死体が転がり込んで来たのであるから、ホテル側の動転は、まことに救い難いものがあった。
まず、客がありの巣をこわされたような騒ぎになった。吟味された料理に舌つづみを打っていた客は、ナイフを胸に突き立てられ、血まみれになった死体の闖入ちんにゅうしらせに、せっかく胃に入れた美肉を危うく吐き出しそうになった。実際に吐いた客もいた。
婦人客が、先を争って逃げ出した。だが逃げ出した先のエレベーターホールを、凄惨せいさんな死体がふさいでいたのである。子供が泣きだした。つられて泣きだした親もいる。優雅な食事どころではなくなった。
客の混乱をよそに、駆けつけた警察陣は、冷徹に検証を進めていた。だがオーソドックスな現場検証とは、おもむきを異にしていた。
被害者を運んで来たケージのエレベーターガールや乗り合わせた客の証言によって、被害者は自力でエレベーターに乗って来たことは、確かである。 創傷そうしょうの部位や、衣服の上から直接突き刺している点から、自殺とは考えにくい。また傷の状態から判断して、ケージで刺されたものでもない。すると、被害者はどこか別の場所で胸に凶器を突き立てられたのだ。
── その場所はどこか? ──
捜査員は、検死の係官を残して、犯行現場を探し求めながら被害者の足どりをさかのぼった。
被害者の傷の程度から見て、あまり遠方からやって来たとは思われない。犯行現場はきっとこの近くにある。 ── 捜査陣は、そう確信していた。

2021/07/09

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