~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
エトランジェの死 (1-03)
だが、捜査陣の目算は外れた。捜査員の端ねんな操作にも拘わらず、ホテル近辺に犯行現場を見つけられなかった。捜査陣は改めて犯行現場をホテル内部とにらんだ。
ロイヤルホテルは、四十二階、客室総数二千五百を誇る超巨大ホテルである。収容客数キャパシティ四千二百名の他に、布設食堂や大中小七十の宴会場へ集まって来る外来客ビジターが多い。
これらの客の中に犯人が紛れ込んでいたとすれば、その割り出しには、かなりの困難が予想される。しかし犯行の現場がホテル内部及びその敷地内であれば、捜査範囲が限定される。犯行現場を突き止めれば、そこから犯人を手操る糸口をつかめるかもしれない。
ホテルの宿泊客の協力を取り付けて、二千五百の全室、七十の宴会場、各種食堂、バー、地下のアーケード街、建物をmぐる一万五千坪の庭園、ガーデンハウス、東屋あずまや、駐車場に到るまで、くまなく捜索された。
しかしながら、犯行現場とおぼしき場所は発見されなかったのである。内部に痕跡こんせきが泣ければ、当然外部から来たと考えなければならない。ロイヤルホテルは地理的に東京の中心部に位置している。文字通りの都心である。被害者は、いったい大東京のどこから瀕死ひんしの重傷を負った身体をここまで引きずって来たのか?
この捜索の間に、被害者の解剖の結果が出た。それによると推定犯行時間は、死体となって発見された時点より三十分ないし一時間溯る、すなわち九月十七日午後八時から八時三十分の間、凶器は右前胸部に射し込まれ、その先端は肺臓を傷つけ、肺動脈に達している。傷口を狂気が蓋した形になっていたために、筋肉が凶器に捲きついてまします開口部を閉塞へいそくし、胸腔きょうこう内に多量の血液が貯留ちょりゅうしてこれが死因となったとみられた。
これだけの傷を負いながら、最上階レストランまでやって来た行動能力の残されたことに、執刀した医者は驚嘆した。文献には心臓に負傷して二百~五百メートル歩行したという事例や、数日~数週間生存した事例が報告されているが、現実には極めてまれである。
心臓よりも、太い動脈を切った場合の方が、受傷後の行動能力が短いことが多いが、それも個々の傷の具合によって異なる。
凶器は、刃渡り八センチほどのありふれたナイフで、力を込めて刺し込まれたために長さ十二センチほどの刺創管を形成し、その先端が肺動脈を傷つけていた。
もちろん犯人の唯一の遺留品たる凶器の線からも、捜査は進められていたが、学童でも持っていそうな平凡なナイフなので、初めから難航した。に付着していたにちがいない犯人の指紋も、その上から被害者が血まみれの手で握りしめたために、検出不能になっていた。
被害者の身許みもとは、所持していたパスポートから直ちに割れた。それによると、アメリカ国籍のジヨニー・ヘイワード、二十四歳、現住所はニューヨーク、東123ストリート167番地。日本へは「観光ビザ」で。四日前の九月十三日に入国している。来日は今回が初めてである。
さらに所持品の中に新宿区のあるホテルのロケーションカードを見つけ、捜査員がおもむくと、それは一年ほど前にオープンしたビジネスホテルで、機能本位の設備がうけて、現代に即応するホテルとして繁昌している。
その名も、ずばり、「東京ビジネスマンホテル』である。玄関からロビーへ入ると、フロントカウンターにクラークが一人、客が二、三人いるだけで、ガランとしている。これでもホテルは満室なのだそうであった。案内のボーイも置かず、客は前払いしてキーをもらい、部屋に通る仕組みになっている。
ロビーには、自動販売機がずらりと並んでいる。煙草、コーラ、週刊誌等の他に、おにぎり、サンドイッチ、ラーメンなどのスナック類の販売機がある。フロントでキーをもらい、自動販売機からサンドイッチとコーラでも買って、独り部屋で食事をしている図は、昨日的かも知れないが、いかにも寒々としている。
従業員の数も思いきって削減し、ホテルの隅々まで省力しょうりきが行きわたっているようである。客室以外に事務所もあるらしく、『こおり陽平後援会本部』とか、『松原法律事務所』などのボードが玄関脇の壁に取り付けられている。
捜査員は、フロントで用件を伝えた。すでに宿泊客が殺害された連絡はされていたので、クラークは奥のオフィスから責任者らしい人物を呼んで来た。
「どうもこの度は、私どものお客様が大変なことになりまして、私どももただびっくるしております」
<フロント課長> と肩書の付いた名刺を差し出したその男は、いかにも接客業で鍛え上げたようなにこやかな態度で捜査員を迎えた。柔らかいが、しんに警戒のよろいを着けている。接客業者特有の“垣根越しの対応”なのである。
2021/07/09
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