~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
エトランジェの死 (1-04)
「そのことで、二、三おうかがいいたしたいことがありまして」、捜査員は前置き抜きで本題に入った。
この職業畑の人間は、いったん口を鎖すと、梃子てこでも開けられなくなる。警戒心を解くためにも、単刀直入に聞いた方が、効果の高い場合が多い。
「どんなことでございましょう。手前どもでお役に立つことでしたら、なんなりと」
フロント課長は口では積極的な協力の姿勢を示しながら、保身の及び腰で、いつでも逃げられるように構えている。
「まず、殺されたジョニー・ヘイワードさんの部屋を見せていただきます。部屋はそのままになっているでしょうね」
犯行現場そのものではないので、強制的な保存は出来ないが、身元判明と同時にホテルに連絡し、もよりの派出所の巡査を走らせて、みだりに変更出来ないように見張らせてある。
「それはもう。交番から巡査も来ておりますし」
その時、派出所から先行していた巡査が一行を迎えに出て来た。案内された部屋は、ベッド一基と、ユニット式のバス・トイレットでで構成された殺風景なシングルルームである。ベッドサイドにナイトテーブルがあり、その上に電話機が乗っている。それだけが部屋の備品であった。
「客の荷物は?」
「こちらにございます」
ヒリント課長は、部屋の隅にあった古ぼけたスーツケースを指した。
「これだけですか?」
「これだけです」
「中を見せて貰います」
返事も聞かずに捜査員は、ケースを開いた。錠はかっかっていなかった。中身は、着替えや軽い読み物などの雑品だけで、手がかりになるようなものは一切なかった。
「予約は、どこから入ったのですか?」
携帯品検査を終わった捜査員は、質問の鉾先ほこさきを変えた。
「予約はありません。九月十三日の夜、ふらりと現れまして、部屋を求めたのです。態度も悪くなく、ちょうど空き部屋があったものですから」
「本人が直接フロントへ来たのですか? それともあらかじめタクシーの運転手か誰かが部屋の有無を聞きに来たのですか?」
「本人が直接来ました」
「このホテルは外人客が多いのですか」
「めったにありません。ほとんどが定期的に出張して来るサラリーマンです」
「もちろん英語で話したんでしょう?」
「いいえ、片言でしたが日本語を話していました」
「日本語をしゃべったんですか」
これは新発見であった。初めて来日した外国人が日本語を話したとなると、事前に日本の予備知識か、日本となんらかのつながりがあったのかも知れない。
「たどたどしい言葉でしたが、意志の疎通は出来ました」
「それでどのぐらいの滞在予定だったのです?」
「一週間分の前金を置きましたので、一応一週間ということに」
「すると、本人は滞在を延長する意志を持っていたかも知れませんね」
「それは何とも申し上げかねます。手前どもでは、三日間を一区切りとするのですが、一週間分の前金をいただきましたので」
フロントの課長は、「前金」えお繰り返した。それが、金さえ払ってもらえば、後は関知しないという、いかにもビジネスホテルらしい現金主義を露骨に剥きだしているように見えた。
「滞在中、訪問者はいなかったですか?」
「ございません」
「電話などは?」
「交換台に聞きましたが、外線は一本も入って来なかったそうです」
「こちらからかけた電話は・」
「発進電話は、ごらんのように部屋から直接ダイヤル出来るようになっておりますので、どこへかけたのか、ホテル側ではわかりません」
「それでは料金はどうやって徴収するのですか・」
「会計にメーターがありまして、通話料が示されるようになっています」
メーターには百六十円が表示されていたが、その内容はわからない。
ここでも人間の介入を拒否するメカニズムの発達が、捜査の障害となった。東京ビジネスマンホテルの捜査は、ここで行き詰まった。そこは被害者が旅の途中に数夜の宿りを求めた仮の宿でしかなかった。犯人との接点は、まったく認められなかった。
2021/07/10
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