~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
エトランジェの死 (2-01)
棟居の心にわだかまっているものがあった。それはしだいに凝固して、はっきりとした違和感となって迫って来る。
個人タクシーの運転手が耳にした『ストウハ』という言葉の断片は『ストロー・ハット』の聞き間違えだったらしい。しかし、もしそうだとすれば、被害者はなぜロイヤルホテルを指さして「スロトー・ハット」と言ったのか? ロイヤルホテルにストロー・ハットを連想させるものは、なにもないのだ。
── ストウハとは、他の言葉の聞き間違えではなかったのだろうか? ──
たまたま棟居が公園内からストロー・ハットを見つけたものだから、それに結び付けてしまったが、それは短絡に過ぎたのではないか? もし運転手の聞きとめたストウハがストロー・ハットでなければ、棟居が発見した帽子は、事件にまったく関係ないことになる。
こ思いが棟居の心の底におりのように留まって、しこりとなってきたのである。棟居には、那須が指摘した「被害者がロイヤルホテルの四十二階のレストランへ行った理由」の中にこの事件のかぎがあるような気がしてならない。
棟居の発見した麦わら帽子は、鑑識によって少なくとも十五年以上前につくられたものと鑑定された。那須のみたてよりさらに五年以上も古いものであることがわかったのである。
そんな古いものが、それだけの期間、都心の公園に放置されていたはずがない。さらに重ねた聞き込みによって、九月十七日の朝、すなわちジョニー・ヘイワードが刺された十二時間ほど前、町内会の有志が、同公園を清掃したが、そんな帽子は落ちていなかったことが確かめられた。またもしそれが落ちていれば、その時に取り除かれたはずである。
麦わら帽子は、九月十七日の朝以降に、そこへ運ばれて来たのだ。
「もう一度、現場へ行ってみよう」
棟居は“現場百回”という捜査の基本を忠実に踏んでみることにした。その時に彼は奇妙な盲点があったことに気が付いた。
タクシー運転手が申し出て以来、清水公園にはすでに何回か足を運んでいる。しかし、運転手が被害者を乗せたという午後八時半ごろにまだ一度も行ったことがなかった。公園の検索も、周辺の聞き込みも、もっと早い時間に行われていた。
犯行現場の疑いが濃厚な場所でありながら、被害者が移動したために現場の意識が希薄きはくとなり、犯行現場と推定される時間帯の現場観察を怠っていた。捜査員の見過ごした死角ともいえる。その死角の中に立てば、新たな視野が開けるかも知れない。
棟居は午後八時少し前に、公園へ行った。都心でありながら、人影も絶えて、すでに深夜の赴きである。公園好きのアベックの姿もない。これは警察が防犯対策の一環として、公園のアベックに早い時間の帰宅を呼びかけたためらしい。貧弱な草むらの中で、虫が息も絶えだに鳴いている。
街灯もまばらで、通りを時折通過する車のライトが街路樹のこずえを闇の中に浮かび上がらせる。だがその光の矢も公園の重なり合った樹木の奥までは射通せない。
2021/07/14
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