~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 人 間 の 証 明 』 ==
著 者:森村 誠一
発 行 所:㈱ 新 潮 社
 
怨 恨 の 刻 印 (1-01)
棟居むねすえの目には、いま一つの光景が浮かんでいる。忌まわしく、思い出したくない光景である。だが、彼のむねすえに貼りついて離れない。おそらく彼が生きている限り、振り落とそうとしても離れないだろう。
彼は、その光景の中に登場する人物を生涯かけて追うために、刑事となったといってもよい。思い出したくはないが、忘れてはならない心象光景でもある。それがあるからこそ今日まで生きて来られたとも言える。
棟居弘一良こういちろうは、人間を信じていない。憎んでいる。人間という動物は、誰でも突きつめてみれば、「醜悪」という元素に還元されてしまう。どんな高邁こうまいな道徳家、深遠で徳高き聖人のマスクをつけ、友情や自己犠牲を説く人であっても、心のひふぁに自己保身のソロバンを隠している。
棟居をして、このような人間不信に陥らせたものが、瞼に張り付けられた、光景なのである。
彼も社会の一員として社会生活を営んでいるので、その不信と憎悪をあらわにすることはない。だが心の底に巣くった人間に向ける不信と憎悪は、決して溶解することのないしこりとなって、致命的ではないが、その人間に生涯取りいた腫瘍しゅようのように執拗しつように生き続けている。
それが棟居の精神の原形質と言ってもよいくらいだ。それを内包してき出しにしないのは、生きて行くうえの方便であった。
棟居は母の顔を知らない。病気で死別したのではない。彼が物心つかないうちに、男をつくり、幼い棟居と夫を捨てて逃げてしまったのである。
その後、彼は父の男手一つで育てられた。父は、妻に逃げられた愚痴を一言も言わなかった。教育者の家庭に生まれた父は、自らも小学校の教師となって、戦後の混沌こんとんの中に子供たちの教育のために一身をささげていた。
そんな父が、万事派手好みの母には息苦しかったのかも知れない。父は強度の近視のために、徴兵をまぬかれたのだが、そんなことも当時の軍国主義全盛の世相にあって母には恰好悪いものに映ったらしい。
後で人から聞いた話だが、「銃後の会」の集まりなどで知り合った若い将校と、よく遊び歩いたそうである。母が父の許から逃げ出したのも、それらの将校の一人といい仲になって、彼の転任先へいて行ったということだった。
父は、棟居に愚痴をこぼさなかったが、妻に去られた寂しさを必死に耐えていた。その寂しさを棟居に託した。父一人子一人の寂しい家庭だった。
太平洋戦争は終結し、世相は混沌としていた。軍人に従って行った母が、その後どうなったかわからなかった。だが世相の混乱も父子二人の家庭には、ほとんど影響なかった。
父がかばってくれたのか、それとも忘れてしまったのか、その辺りの記憶が曖昧模糊あいまいもことしていた。あるいは、母の居ない寂しさが、幼い心を被いつくして世相の変転に気づかなかったのかも知れない。
寂しさだけは、よく覚えていた。父と二人で囲む夕食の寂しさ、灯の暗さ、部屋の中の冷たさが、骨に刻まれたように今でも記憶に残っている。食物の貧しさを、母の居ない寂しさが糊塗こそしていた。その寂しさが、いつしか自分たちを捨てた母に向ける怨念おんねんに変わった。
母の顔を知らぬ子は、母がどこかの空の下で生きていると知って、その面影に吹きつけるような懐かしさと、憎悪を向けていた。
だが父がいる間はよかった。寂しさを父と分け合い、父子二人が身を寄せ合ってきびしい世間の風を避けることが出来た。それは社会から隔離された父子の小宇宙であった。
棟居は、間もなくこのただ一人の保護者を失うことになったのである。
棟居が四歳の冬のことだった。この日、棟居は、駅の前で父の帰りを待っていた。夕方一定の時間に勤めから帰って来る父を迎えに行くのが棟居の日課である。
父は芋やトウモロコシで作った弁当を棟居のために作ってから、家を出る。それから夕方まで、棟居はたった一人で留守番をしているのである。当時はテレビもまんがの本もない。暗い部屋で、ただ父の帰る時間だけを待ちこがれてうずくまっているのだ。
父は、危険だから迎えに出てはいけないと言ったが、夕方、駅へ迎えに出るのが幼い彼にとって唯一の楽しみだった。
改札口から出て来る父の姿をいち早く見つけると、棟居は小犬のように飛んで行って、その手にぶら下がる。父は必ず、彼のためにおみやげを持って来てくれた。来てはいけないと言いながらも、棟居が迎えに出ていると、父は喜んだ。
みやげは芋で作った饅頭であったり。豆で作ったパンであったりした。だが、それが棟居にとって最高のご馳走ちそうであった。それらの土産物には、父の手のぬくもりがあった。
それから家に帰るまでの語らいが、父子の一番幸福な時間だった。父は、棟居が舌足らずの言葉で、ただ一人で留守番している間のさまざまな冒険を語るのを、目を細めて聞いていた。
迷い込んで来た野良猫を追い払った話し、乞食が来て家の中をのぞき込んだ時の恐ろしかった経験、隣りのヨシ坊の家へ行って出された菓子の美味うまかったこと、そんなとりとめもない話しが次から次につづくのを父は、そうかそうかと全身で慈しむように聞いてくれた。
父がいつもの時間に帰って来ないと、帰って来るまで待っていた。幼い子供が、寒い風に吹かれて体を丸めて待っていても、誰も意に介さない。当時は、浮浪者や浮浪児が街にあふれていて、幼い子供が一人でふらふらしていても、それはべつに珍しい光景ではなかった。
また、それぞれが自分の生き方の方途を探すのに精一杯で、誰も他人のことにかまっていられなかった。
2021/07/15
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